第1章 デジタル技術のフロンティアデジタル技術は今後どう進化していくのか

Guest Speaker

徳田 英幸(とくだ・ひでゆき)
情報通信研究機構(NICT) 理事長

 慶應義塾大学工学部卒。同大学院工学研究科修士。ウォータールー大学計算機科学科博士(Ph.D. in Computer Science)。1983年、米国カーネギーメロン大学計算機科学科に勤務、研究准教授を経て、1996年より、慶應義塾大学環境情報学部 教授。慶應義塾常任理事、環境情報学部長、大学院政策・メディア研究科委員長などを経て、2017年から現職。主に、ユビキタスコンピューティングシステム、オペレーティングシステム、分散システム、IoT、サイバー・フィジカルシステム、センサネットワークなどに関する研究に従事。慶應義塾大学名誉教授、情報処理学会フェロー、日本ソフトウェア科学会フェロー、日本工学会フェロー。情報処理学会会長、学術会議情報学委員会委員長、Beyond 5G推進コンソーシアム副会長、IEEE東京支部チェアなどを務める。

■ この章の問題意識 ■

 1960年代から開発が進んだインターネット。1990年代に商用サービスが解禁され、人々の暮らしや社会を大きく変えた。インターネットが我々に何をもたらし、今後さらに何を変えていこうとしているのか。デジタルエコノミーの将来像を描くためには、まずネットワークの将来像を明確に描いていく必要がある。
 そして、デジタル技術が社会経済システムに実装され、リアル空間とサイバー空間が一体化するCPS(Cyber Physical System)が実現していく中、日本はデジタル技術の研究開発をどのように進めていく必要があるのだろうか。データ駆動社会に向かう中で日本の勝ち筋はあるのか。さらに、社会の課題解決を実現するソーシャルイノベーションを巻き起こすために研究開発をどのように進めていくことが必要なのか。
 デジタル技術の進化に向け、日本の研究開発の向かう方向性について展望する。

聞き手=谷脇 康彦 デジタル政策フォーラム 代表幹事

「時間と空間からの解放」、そして「身体と脳からの解放」へ

谷脇 通信技術とコンピュータ技術が融合したインターネットは、20世紀最大の発明と言われています。インターネットは人々に何をもたらしたのか、社会をどう変えたのでしょうか。

徳田 英幸 情報通信研究機構 理事長

徳田 これまでのインターネットの最大貢献は、人々の生活、経済活動を時間と空間の制約から解放したことでしょう。これは論を待たないと思います。
 これからのインターネットがどうか――。おそらく、人類を「身体の制約」から解放していくことになるでしょう。自分はここにいる、そして自分の分身ロボットが日本橋で働いている、さらに中近東で農業指導をしている。そんなふうに1対Nで同時に複数の分身が動いているようなイメージです。そして、最先端の研究者が取り組んでいるのが「脳からの解放」です。ブレイン・マシン・インタフェースで分身ロボットと繋がって、文字通り思った通りにアクチュエーション(作動)することができる。そういったものが実際に出来上がりつつあります。つまり、4つの制約――時間、空間、身体、脳――からの解放を目指して、インターネットは進化を続けています。
 社会的な課題もあります。いわゆる情報格差、デジタルデバイドの問題です。インターネットに繋がっている人たちにとっては、あらゆる情報にone click away(クリック一つ)でアクセスできるようになり、情報の格差が縮まりました。メール、Facebook、X、Instagram、Webex、Zoom、メタバース、YouTube・・・と多種多様な発信サービスが次々に登場し、情報の発信能力が圧倒的に強化されました。個人への影響が非常に大きいですが、組織、企業、国家を含めた社会全体をエンパワーメントしたと言えるでしょう。一方、まだインターネットに繋がってさえいないdisconnectedな状態に取り残されている人々もたくさんいます。情報へのアクセスの有無が生命を左右します。Connected SocietyとDisconnected Societyの格差がどんどん広がっていることは、大きな問題です。
 過去を振り返れば、インターネットは誕生当時からデジタルデバイドを生み出しては解消しての連続でした。私がカーネギーメロン大学に勤務し始めた1980年代初頭は、The Internetの前身、ARPANET(Advanced Research Projects Agency NETwork、高等研究計画局ネットワーク)の時代でした。その頃、ARPANETに接続できたのはアメリカのTop-notchの大学、研究所で、「繋がった大学」と「繋がっていない大学」という、世界最初のデジタルデバイドが生まれたのです。ファーストクラスシチズンとセカンドクラスシチズンみたいなものです。学生や研究者はARPANETが繋がっている大学で勉強したい、繋がっている企業の研究所に勤めたいと思うわけで。上は上、下は下みたいな分断が生まれ始めていました。
 ちょっとした古い逸話があります。通産省系のある調査団がMIT(マサチューセッツ工科大学)を訪問する件で、米西海岸のカリフォニア大学バークレー校の先生がMITの先生へ面会を申し込むのにARPANETを使った。それを知ったMITのタカ派の教授からクレームがついた。「米国の国防用ネットワークを使って日本人との面会アポを取るとはけしからん!」というのです。今では笑い話ですが、その当時のARPANETというのは、そのくらいARPAの研究開発を主としたネットワークだったのです。
 しかし、その頃、アメリカ中の大学のコンピュータサイエンス学部がARPANETだけでなく、UUNETなどによってネットワーク化され始めていました。こうした研究基盤の分断は良くないと、David Farber氏とLawrence Landweber氏らを中心にグループができ、ARPANETに接続されていない全米のコンピュータサイエンス学部で少なくとも電子メール、ファイル転送が使え、研究者間の情報共有やコラボレーションができるようにしようという活動を始めました。そして、「コンピュータサイエンスネットワーク(CSNet)」を作ったのです[1]。このような活動がネットワークの民主化を促進し、ネットワークとネットワークを接続するメリットが加速していきました。このようにして、インターネットの普及と社会のフラット化が足並みを揃えて進んでいったのだと思います。
 ほかには、経済活動の活性化、エンタテイメントの進化があります。CD、MD、DVDはあっという間に売れなくなりました。私はこれを、「アトム(モノ)がビット(デジタル)になった」と表現しています。ストリーミングサービスが立ち上がり始めた頃、ソニーの人たちが「メディアはどうなってしまうのだろう」と心配していたので、「アトムはビットになったが、ビットを音に変えるには、アクチュエーターが不可欠。音を再現するには、スピーカーやヘッドフォンが必ず必要です!」と言った覚えがあります。人間はビットをそのままsense(感じ取る)することはできませんから、空気を振動させて音を出すモノ、ビットtoアトムの変換機、すなわちアクチュエーターの役割が非常に重要になってくるのです。
 「アラブの春」や「#BlackLivesMatter、BLM」など、社会運動の新しい形はインターネットが人々と社会にもたらした大きなインパクトだったと思います。そして、インターネットそのものをどうしていくかを議論するインターネット・ガバナンス・フォーラム(IGF)の「IGF京都2023」が日本で開催されたように、マルチステークホルダーが集まってコンセンサスを形成していくあのような場を維持できているのは、とても健全だと思います。

谷脇 IGFにも関連するのですが、元々限定された研究者コミュニティで利用が始まったインターネットが世界中の人々が使うツールになりましたが、その背景にはオープン性を維持し、「自律・分散・協調」という基本精神を守ってきたことが挙げられると思います。しかし、中国が中央統制色の強い「New IP」をISO(国際標準化機関)に提案するなど、政府がインターネットに積極的に介入する国家と政府がインターネットに介入しない民主主義国家に二分され、インターネットの分断化の動きが加速化しています[2]。一つのインターネットは守れるでしょうか。

谷脇 康彦 デジタル政策フォーラム 代表幹事

守ろうとしない限り、インターネットは守れない

徳田 守ろうとしない限り、守れないでしょう。
 先ほどロボットのお話をしましたが、ロボットが自律・分散・協調的に動くためには、互いの位置を特定するためにXYZの座標系と時間を共有しなければいけません。同じ座標系に立つことで互いの位置が分かり、そこから協働や創発が可能になるのです。
 人間社会で言えば、憲法のような共通の価値観が共有されていなければ国民・国家がまとまらないというのと同じです。プリンシプル(基本原則)が共有できない人たちとの間で一つのメカニズムを維持していくことは、相当頑張らないと難しい。フェンスの向こうでは情報のフローがコントロールされ、検閲されてもいる、ということは現実に起こり得ることです。以前は技術が未発達だったのでTCP/IPを使わざるを得なかったのですが、今ではプロトコルを変えることはそれほど難しいことではありません。プリンシプルの部分で合意できなければ、こちら側の世界とあちら側の世界に分断することは避けられませんし、既にFragmentation(断片化)は始まっていると言えるかもしれません。
 インターネット草創期には、10ドルくらいの格安コンピュータを中国の若者全員に配ってネットで繋げ、情報が自由に流通するようにすれば政治体制さえ突き動かすことができる、といった楽観論もありました。現実には、中国は“グレート・ファイアウォール”を作り、自由な情報流通とは程遠い状態にあります。技術だけではどうにもならない面があるのです。価値観やイデオロギー、政治体制の違いを乗り越えてインターネットの分断を回避するためには、相当な覚悟と努力が必要です。

地球環境に負荷をかけない――コンピュータサイエンティストの責務

谷脇 コンピュータシステムはメインフレームからオフコンへ、さらにクラウドからエッジコンピューティングと集中と分散を繰り返す歴史を辿ってきました。今後のネットワークはどのように変化していくのでしょうか。

徳田 ベストミックスを追求していくことになると思います。データセンターは一極集中のように見えて、個々のサーバーは分散協調型でファイルのConsistency(一貫性・整合性)を保っていたりします。クラウドとエッジで処理を分散させるのに加え、最近はエッジ側とクラウド側の間にフォグサーバを設置したフォグコンピューティングというスタイルも出てきました。分散アルゴリズムのノウハウが大いに蓄積されてきました。メインフレーム時代のようにシステム全体が集中型アルゴリズムで作られる時代はもう来ないでしょう。基本はシステムを最適化できる適材適所の考え方です。
 集中か分散かも大事ですが、情報技術者の発想を左右しているのはカーボンニュートラルなコンピューティングとコミュニケーションです。例えば、仮想通貨のマイニング(取引などのデータをブロックチェーンに保存する作業を行い、その報酬として仮想通貨を得る行為)は、電力エネルギーを膨大に消費します。これまでの多くのシステムではエネルギー消費のことはあまり気にせず、とにかく速く、大量のデータを処理することが目指されてきましたが、それは地球環境にとって非常に大きな負荷を与えることになります。
 クラウドのデータセンターは通常時においては自然再生エネルギーで賄い、大規模言語モデルのようにGPUを絶えず回さなければならないシステムでもカーボンニュートラルを目指すべきです。カーボンフットプリントを最小化するオール光のネットワークやグリーンコンピューティングを最適化していくことは、我々コンピュータサイエンティストの責務・使命です。“グリーンビットコイン”とか“グリーンマイニング”といった技術研究に率先して取り組むべきだと思います。

谷脇 データ駆動社会(Data Driven Society)の到来はデータの生成・収集・蓄積・解析を通じて社会課題を解決する世界だと考えていますが、こうした世界観を実現するために、技術開発の面ではどのようなアプローチが必要でしょうか。

データ駆動社会は「技術」と「政策」の両輪で

徳田 技術開発だけではデータ駆動社会は実現できません。技術開発のプロセスと政策立案のプロセスを両輪で回すような仕組みが必要だということが一つ。
 技術開発の観点からは「SPA」モデル[3]という私の造語をご紹介しましょう。「S」はSensing(感知・計測)でリアルな物理空間をセンシングしてサイバー空間にデータを取り込むこと。「P」は取り込んだデータを処理するProcessing。ここはsimulation(模擬)、emulation(疑似)、prediction(予測)、ビッグデータ分析、AI分析など、実に様々な手法があります。そして、「A」はActuation(作動)で、処理したデータを再び現実空間に戻し作動すること。ビットをアトムに変えるスピーカーやヘッドフォン、現実空間で作動するロボットなど多種多様なアクチュエーターがあります。データ駆動社会はSPAの集合体として構成されると考えています。
 このうち、SensingとProcessingは洗練度がかなり高まっていて、急速に進化を続けています。IoT(Internet of Things)では電力供給が不要な「ゼロエナジーIoTデバイス網」や、クオンタムテクノロジーを応用した「量子センシング」による高精度計測など、研究開発がどんどん進んでいます。
 SPAの中で一番遅れていて、技術的にはまだ弱いのがActuationです。逆に言えば、これからの伸びしろが大きく、ロボット技術や機械制御、メカトロニクスといった日本の強みを大いに活かせる分野です。
 ただし、持続可能なデータ駆動社会を実現するためには、まだまだ多くの課題を解決しなければなりません。私は、SPAのprocessingが提供するサービスを4段階プロセスで整理して考えています。
 レベル0は「Context Capturing」。物理世界をセンシングして収集したデータから「何が起きているのか」を理解することです。例えば車の交通量を測定して渋滞状況を把握するイメージです。
 レベル1は「Scientific Visualization」。レベル1で理解した現象を人間にも分かりやすく可視化することです。渋滞情報を地図に重ね合わせ、色を工夫することで容易に渋滞の度合いが理解できといったイメージです。
 レベル2は「Optimization」。把握・理解した状況に対応するために、何をどう変えるか、リソースをどこに投入すべきかを分析します。車の流れをスムーズにして渋滞を解消するためにはどうすべきか、例えば信号機をどのようなタイミングに設定するのが最適かを提供します。既に起こったこと、今起こっていることに対する最適解を導きます。
 レベル3は「Prediction」です。予測モデルを作って、これからどうなるか、どうするべきかという予知、予測を可能とします。「30分後にX交差点の付近で渋滞が起きる」というように未来に起こり得る現象を予想します。
 各レベルのサービスに関する研究開発が進んでいます。SPAのサイクルをリアルタイムで回してシステム全体のパフォーマンスを向上させることに加え、全レベルを通じて重要なポイントはコンピューティングとコミュニケーションのゼロエナジー化とアクチュエーションの進化の二つだと思っています。

日本の勝ち筋は「Actuation」にあり

谷脇 日本の勝ち筋は見えているのでしょうか。

徳田 GAFAは膨大なデータを収集・蓄積していますが、彼らが持っていない情報もあります。例えば、生産工場で稼働している機械からはき出されるデータや工場内の人の動きなどです。そうしたデータは企業秘密に値するものなので外部には出ていきません。こうしたデータを企業間連携、産業連携によって収集し、SPAをベースにレベル0から3までを高速で回すことで、日本のモノづくりの力をもっと強化できると思います。まずサイバー空間でシミュレーション、エミュレーションして最適解を求めた上で工場建設に着手することが当たり前になっていけば、日本のモノづくりが生まれ変わるくらいのインパクトが期待できると思います。
 「ハードウェアよりもソフトウェア」と言われるようになって久しいのですが、Actuationの部分には確実にハードウェアが残ります。これまでよりも、もっと高精度・高精細な技術と豊かな発想力・創造力が必要になるでしょう。そこは、そう簡単には真似できないので、テクノロジーとノウハウをしっかりと内部に留保しておけば優位性を保てると思います。

谷脇 テクノロジーにはそうした光の部分がある一方で、影の部分もあります。2024年1月に世界経済フォーラム(World Economic Forum、WEF)が公表した「グローバルリスク報告書2024年版」によると、今後2年間のグローバルリスクのトップ5に「誤情報・偽情報」「社会の二極化」「サイバーセキュリティの欠如」(残り2つは「異常気象」と「国家間武力紛争」)というデジタル技術関連の項目が3つも含まれていました[4]。「技術が生み出した課題は技術で解決することができる」という考え方もありますが、果たしてデジタル技術が招いたリスクや脅威を新しいデジタル技術によって解消することはできるでしょうか。

徳田 生成AIの状況を見ていると、技術だけでは解決が難しい部分があると思います。例えば「steganography(ステガノフラフィー)」という技術で生成AIが作った画像に電子透かしを入れると、半分に切っても4分の1に切っても透かしが残り、生成AIが作ったものだということを判別できます。ほかにも、「敵対的生成ネットワーク(Generative adversarial networks、GANs)」という技術があります。生成ネットワーク(generator)と識別ネットワーク(discriminator)という“敵対”する2つのAIを組み合わせ、AIが作った偽物の画像と本物の画像を見分けるようなことが可能になります。それを競うコンテストもあって、いろいろな研究者グループがしのぎを削っています。
 ただし、悪意をもって画像を作るような人が画像を作る段階で透かしを埋め込むことはないでしょうし、GANsはまだ完全ではありません。今のところ、人が作ったコンテンツなのかAIが生成したコンテンツなのかを技術だけで高精度に判別することは難しい状況です。
 これに対しては、制度やルールを整え、違反に対する罰則を設けることで対応する必要があります。これまでのところ、生成AIに関しては、「とにかく自由に使ってみよう。大人も子供も誰もが参加してAIを民主化しよう。技術の進歩を止める規制には反対」という流れで進んできました。もちろん良い面もあったのですが、冷静に見れば“野放し”の状態にあるわけです。結果的に、真偽や出所の怪しいコンテンツ、偽情報がデジタル空間に出回って「コンテンツ・コンタミネーション(情報汚染)」がかなり深刻なレベルまで進んでしまったと認識しています。なんらかのルール、標準化や認定制度を制定することが必要と思います。
 国内では、IPA(独立行政法人 情報処理推進機構)にAISI(AI Safety Institute)が設置され、海外機関とも連携してAIの安全性評価に関する基準や手法の検討等がされます。また、OECDが進めているGPAI(Global Partnership for AI)への貢献の強化と広島AIプロセスの取組の推進の一環として、アジア地域初の専門家支援センターとなるGPAI東京センター(仮称)がNICT(国立研究開発法人 情報通信研究機構)に設置される予定です。

イノベーションのノンリニアモデルへ舵を切る

谷脇 研究開発の成果をマーケット(市場)に投入していくためには、研究開発の枠組み――対象やプロセス、体制などを考え直す必要もありそうですね。研究開発におけるマーケット(市場)との対話についてどのようにお考えでしょうか。

徳田 NICTの場合、基礎的なサイエンスのレベルから社会実装まで取り組んでいます。「基礎研究」「応用研究」「実証実験」「社会実装」という流れですが、これはいわゆる「リニアモデル」です。一般的にイノベーションのリニアモデルと呼ばれているものは「研究→開発→製造→販売」という流れですが、これと同じと考えてよいと思います。いずれにしても、研究成果を社会に展開するまでには非常に長い時間がかかっていましたし、“打率”は必ずしも高くはありませんでした。
 今、模索しているのは「ノンリニアモデル」へのシフトです。決して基礎研究を手放すわけではありませんよ。その軸足はずらしませんが、サイエンス段階の海のものとも山のものとも分からないジャストアイデアであったとしても、市場における潜在的ユーザーを見つけて積極的に対話してください、と研究員の皆さんにはお願いしています。もし「この部分だけでも使いたい」という人がいたら、途中の段階を飛び越えて実証実験を始めたり、まずは小さく社会実装したりしましょう、と。シーズ側とニーズ側の積極的なマッチングを奨励しているのです。
 私が大学生の頃はコンピュータとコンピュータをいかに繋げるかという研究に没頭したものですが、今はその一段上のレイヤーでイノベーターとイノベーターを繋ぐというマッチングも大切になっています。先日、シリコンバレーに本拠を置くアクセラレーターであるPlug and Play Tech Center(PlugandPlay)[5]に学生や研究者を連れて行きました。世界中の企業や機関、政府の様々なニーズをデータベース化していて、そのインキュベーションセンターにはシリコンバレーのスタートアップが何組も集まり、どんどんマッチングが成立しているとのこと。「NICTが成果を産み出すのに困っているのなら、マッチングしますよ」と営業トークも受けました(笑)。活気に溢れていて、オープンイノベーションのスピードが大幅に速くなっているのを体感しました。

Curiosity Drivenが技術大国ニッポンを救う

谷脇 日本は多くのノーベル賞受賞者を輩出するなど、長期的な基礎研究を含めて十分な研究体制が存在していたと指摘されています。しかし、最近は基礎研究に振り分けられる研究費が限られたものとなっており、骨太な技術が日本からなくなってしまうのではないかと危惧しています。今後の研究開発体制のあり方を考える上でどのようなブレークスルーが求められるでしょうか。

徳田 難しい課題ですが、重要なことは「Curiosity driven」の研究を一定以上残すことです。
 日本の大学における研究体制はかなり改善してきたと思います。市場ニーズがある領域や日本の戦略目標に掲げられた領域には、様々なルートから競争的資金が入ってきます。これを使えば、特任の助教・准教授のポストを増やして研究体制を拡充することができるようになりました。市場性が明らかになっている技術を短期間で仕上げていく仕組みとしては有効だと思います。
 問題は、その反動で、市場性が不明で長期間の研究が必要なテーマ、研究者の興味・情熱が先走っているようなテーマ、すなわち「Curiosity driven」の研究の優先順位が下がっていることです。谷脇さんがおっしゃる「骨太な技術」というのはこういうところからも生まれてくるのですから、一定程度以上の研究費がこうした研究に回されるような仕組み、ファンディングストラクチャーを作るべきです。ノーベル賞を受賞された研究者の皆さんが口を揃えておっしゃるのは「自分が面白いと思ったことをやってきただけ」ということです。そういう余地を残すことが、日本の研究者コミュニティを元気づけることにつながると思います。

谷脇 特にソーシャルイノベーションを起こすという観点から、若手のエンジニアや開発者・研究者にどのようなことを期待しますか。

徳田 若い研究者の皆さんに対して、目先の課題だけを追うようなトレーニングをすることは非常に危険だと思っています。
 まずは長期的なビジョンを持つことです。自分たちの社会がどういう方向に向いているのか、何が真の課題なのかというところを突き詰めていただきたい。そして、そのビジョンを実現するために自分自身は何をやるのか、どのようなミッションを自分に課すのかを明確にする。そして、熱い思い、諦めない心、パッションを持ち続けて課題解決に挑戦してほしいと願います。
 私の出身の工学部では「Iフォーメーション」で行けと言われました。自分の専門を決めたら、どこまでも深く極めよと。SFC(慶應義塾大学藤沢キャンパス)では「Tフォーメーション」と言っていました。まずは横のパースペクティブを広げ、ここが面白いと思ったところを深く掘れ、と。ただ、頭の所ばかり広げ過ぎて興味が分散してしまうと、縦の軸がすごく短くなった「画鋲構造」になってしまいますから要注意(笑)。
S FCの大学院では「鳥居型フォーメーション」を薦めていました。まず、縦二本が自分のメジャー(主たる専門領域)とマイナー(副領域)。そして横の2本が異なる「2レイヤー」を意味し、2つのレイヤーに興味を持つことです。例えば、下のレイヤーが技術のレイヤーで、上のレイヤーが政策のレイヤーです。主領域をAI、副領域をデータサイエンスと決めたら、技術のレイヤーだけでなく、上位レイヤーであるデジタル政策やELSI(技術の倫理的・法的・社会的な課題)にも興味関心を持つことです。年を重ねるごとにメジャーとマイナーの間の隙間が埋まり、またレイヤー間の隙間もだんだん埋まっていき、繋がってきて、極めて視野の広い研究者になっていくと思います。私の言葉で言うと「肺活量の大きな研究者」に育っていけると思います。

谷脇 ソーシャルイノベーションを起こそうと頑張っている“今どきの若者”も増えています。技術立国日本の未来に希望を持ちたいと思います。ありがとうございました。

◇       ◇       ◇

【対談を終えて】
 インターネットは、時間と空間の制約から人々を解放したが、今後はさらに身体及び脳という制約からも解放される形で進化していく。その際、「SPA」モデルの中でA(actuation)の部分、つまり処理したデータを再度リアル空間に戻す部分に日本の勝ち筋があるのではないかという指摘は示唆に富む。
   そして、今後の研究開発のあり方については、イノベーションのノンリニアモデルの必要性が強調された。日本は少子高齢化や人口減少など「課題先進国」と言われる。課題解決型のソーシャルイノベーションを推進するための研究開発体制の整備やリソースの集中的な投入が求められているのではないだろうか。(谷脇)

 

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<参考情報>

[1] インタビュー:デイビッド・ファーバー教授 第三話:ファーバー氏とインターネットのはじまり―実り多き1980年代―、慶應義塾大学
https://www.kgri.keio.ac.jp/research-synergies/talk-4-3.html

[2] インターネットガバナンスを巡る国際的議論、谷脇康彦
https://www.digitalpolicyforum.jp/column/220415/

[3] Tokuda, H., Nakazawa, J. and Yonezawa, T., “Ubiquitous Services: Enhancing Cyber-Physical Coupling with Smart Enablers”, IEICE Transactions 94-D(6): p1122-1129 (2011)

[4] グローバルリスク報告書2024年版: 環境の脅威が激化する中、「偽情報」がグローバルリスク2024のトップに、世界経済フォーラム、2024年1月
https://jp.weforum.org/press/2024/01/guro-barurisuku-2024-no-ga-suru-gaguro-barurisuku2024notoppuni/

[5] https://www.plugandplaytechcenter.com/