pagetop
AIガバナンスの論点2025バナー

AI時代の報道・・・語れないメディアの窮状

AIガバナンスを巡る論点2025 ⑧
西田 亮介
日本大学 教授

AI(人工知能)が驚くべきスピードで進化している。人間の知をはるかに超えるAGI(汎用人工知能)、ASI(人工超知能)の実現も近いという見方もある。AIは、人間にとって便利な道具であり続けるのか、はたまた、人間を支配する脅威となるのか――。デジタル政策フォーラムのメンバーおよび関係者にその問題意識を聞くシリーズ第8回は、西田 亮介 日本大学 危機管理学部危機管理学科 教授に生成AI時代の報道の在り方について聞いた。(聞き手は、菊池尚人 デジタル政策フォーラム 代表幹事代理/慶應義塾大学大学院 メディアデザイン研究科 特任教授、以下敬称略)

西田先生西田 亮介 日本大学 危機管理学部危機管理学科 教授
「エモい記事」で悦に入っている場合なのか

菊池 2025年、「エモい記事論争」に火をつけられました。『エモさと報道』(ゲンロン刊)でも、新聞社の古い体質を憂いておられます。AI時代における「報道」はどうあるべきでしょうか。

西田 今のマスメディアは、AI時代の報道について語れるような状態にないと思います。

2020年代、特にここ1~2年で新聞、テレビというマスメディアのマスメディア性がよく分からなくなってきています。端的に言えば、これまでマスメディアとして担ってきた役割を果たせなくなりつつある。

かつての日本は新聞大国であり、新聞こそがマスメディアの代表でしたが、その土台は崩れ始めています。新聞の1世帯当たり購読部数は2008年に1を割ってから急減し、今では0.5を割っています(新聞の発行部数と世帯数の推移、新聞協会)。2024年には、「全国紙」と呼ばれてきた毎日新聞と産経新聞が富山県での販売・宅配から撤退しました。夕刊については、各紙が全国で廃止に踏み切っています。記者の頭数はこの10年で約25%減り、地方支局の数や海外支局員も削減の一途です。広告費はインターネットへのシフトが加速し、2021年にはついにインターネット広告がマスコミ4媒体(新聞、雑誌、ラジオ、テレビ)の合計を超えました。

新聞社のリソースは細る一方ですが、偽情報への対処、ファクトチェック、働き方改革などやらなければならないことは山積みです。紙面を予定稿で埋め、ネットで使い古した記事を紙面で使い回すようなことが普通に行われるようになった。新聞紙面を何だと思っているのか、と言いたい。それに加えて、書き手一人称で、エピソード、ナラティブ主体の感想文みたいな「エモい記事」の横行が目につくようになったのです。何かを全力で批判するでもない、要はお涙ちょうだいの日常描写記事です。新聞はそんなものを書いている場合なのかと問題提起したら、自省するどころか猛反撃してきました(笑)。

新聞の「中の人たち」の意識はマスメディアだった頃のままで少しも変わっていないのです。AIの大波にメディア全体が飲み込まれないようにする方法を考えなければならないのに、報道の仕方も、記事の作り方も、考え方も、すべてが従来踏襲のまま。すべてが後手に回っていることに気づかず、自分たちこそが世の中の先を見据えていると勘違いしている。はっきり言って終わっています(笑)。もう少し穏やかに言っても、特に新聞社は日経と読売を除いて、ポイント・オブ・ノーリターンを超えている。

2025年にはマスメディア各社がようやくファクトチェックに本腰を入れ始めたことに業界の関心が集まりましたが、2010年代にやっておくべきでした。マスメディアのマスメディア性が自明で、メディア全体がまだ信頼されている時代ならファクトチェックがまともに機能する可能性は大いにあったのですが、すでに現在はオールドメディア全体が信頼されず、マスゴミなどと呼ばれてしまう始末です。状況が全く変わっているのです。報道機関には、信頼だけではなく、信頼感も重要であるということが理解されていません。

例えば「オリジネーター・プロファイル(OP)」(インターネット上の情報の作成者・発信者をユーザーが確認するためのデジタル技術)によって「この記事は〇〇新聞のオリジナル情報です」というように出元を確認できたとしても、そもそもオールドメディア自体が信頼されていないのですから問題解決にはつながらないのではないでしょうか。規制当局や業界あげてOP一辺倒ですが、2020年代においてはもはや実効性がないと考えています。

ファクトチェックにしても、信頼されてないオールドメディアがそれをやったところで人々の納得や安心を得られるはずがありません。メディアが重要な情報をつかんで発信しても、大衆は「オールドメディアの情報は鵜呑みにできない」と受け止めてしまうので、その情報がトリガーとなってむしろ社会の分断や対立を煽ってしまうかもしれない。非常に深刻な状態にあると思います。

旧来型マスメディアの代わりに信じられているのは、堀江貴文さん、中田敦彦さん、ひろゆきさんといった、YouTubeなどで観て慣れ親しんでいるインフルエンサーたちです。100%信じているわけじゃないにしても、人々はネットで慣れ親しんだ彼らが言うことならまずは聞いてみようと思うのです。もはや、新聞、テレビ、Yahoo!ニュースではないのです。新聞やかつてのマスメディアはその現状に真剣に向き合うべきであって、エモい記事など書いて悦に入っている場合じゃない。

テレビも5~10年遅れで新聞と同じ衰退の道を歩んでいます。テレビ局の最近の雰囲気は新聞の15年前、2010年頃とよく似ていて、「個人ではテレビを見ない社員」が増えてきました。テレビのデジタル化は完全に出遅れていてTVer一本足状態です。負けを認めて自省しようとしないのは新聞と全く同じ。特に地方ローカル局の弱体化は顕著で、自主製作番組比率は1割くらいしかありません。コンテンツこそが価値なのに、番組制作能力は弱る一方です。

しかも、民放は「自分たちにはリソースが少ないのだから報道は NHKにおまかせ」と初めから降参している節がある。民放はキー局と地方局が系列を組んで報道ネットワークをつくっていますが、異なる会社の集合体ですから脆弱さがある。ひとつの組織で日本全国をカバーしているNHKとは状況がかなり違いうことは確かなのですが、「報道はNHK頼み」という空気さえ感じることには違和感を覚えます。でも、放送法改正では明確にNHK弱体化の旗を振りました。NHKのウェブニュースは減りました。民業圧迫を声高に主張してきましたが、その後、報道を充実させたり、業績が回復した社はあるんでしょうか。

半世紀以上変われなかった日本の「報道」

菊池 マスメディアには自ら変わる気はないのでしょうか。

西田 2025年は、新聞・テレビ各社が「政治報道」の体制を変えると横並びで宣言した年でした。兵庫知事選、東京都議選、参議院選挙の結果を予見できなかったこと、「選挙の公正」を過度に意識するあまりインターネット空間に不正確な情報が蔓延することを許したという反省からです。日本新聞協会は1966年の新聞協会声明(公職選挙法第148条に関する日本新聞協会編集委員会の統一見解)を引っ張り出し、選挙運動期間においても自由活発な報道ができるとする声明を発表(インターネットと選挙報道をめぐる声明)。テレビ各社も選挙運動期間中においても批判すべきは批判するという態度を表明しています。

しかし、結局何か変わったのか、何も変わっていないんじゃないか、少なくとも読者や視聴者の多くは変化を認識・体感できていないという認識です。「変える」と宣言したのに変われないというのは、とてもしんどい状況だと思います。1966年の声明を持ち出してくるのは良いとして、新聞はこれまでの約60年間、一体全体何をやってきたのか。66年声明を阻むボトルネックは何だったのかという反省も何も無いまま、単に言ってみただけという印象しかありません。

テレビでは、特に総務省の目が届きにくいからではないかと疑っているのですが、関西の放送局をはじめ各局で、報道番組なのか政治バラエティショーなのか一般視聴者には区別しがたい「情報番組」が台頭し、真偽の不確かな情報を含めて取り上げて面白おかしくセンセーショナルに大衆を扇動するというのが近年の流れになっています。その一方で、「インターネットの情報は信頼できない、マスメディアの信頼を取り戻す」などと主張しても説得力を持つはずがないでしょう。番組編成全体で信頼と信頼感を取り戻す打ち手が必要なはずですが、やってることと言ってることが違うんです。そのことに対する反省もないのがテレビの今です。

NHKは頑張っていると思いますが、放送法の制限と業界の足の引っ張り合いの中で力を削がれ、日本の報道は傷む一方です。世界に目を向けてみると、例えばイギリスでは、2030年代には地上波放送を廃止してインターネット放送に全面移行するということが一つの選択肢として真剣に議論されている(Future of TV Distribution、英国情報通信庁、2024年5月)。ドイツやフランスも同様ですが、日本ではそうした議論が全くありません。
その背景の一つに、インターネットを広く使えるようになってから30年以上、オピニオンメディアは出てきましたが「報道」を担うスタートアップが日本では全くと言っていいほど出てこなかったという事実があります。それは我々の社会の貧しさの要因でもあり、傷んでいくばかりの旧来マスメディアに依存せざるを得ない状況を生み出しています。

政策的介入の劇薬でメディア再生を

菊池 メディア任せでは限界があるように感じます。

西田 業界には、メディアの保護や振興を政府が推進することに対する拒絶反応が強くあります。もちろん理解しますが、このまま放置していたら旧来メディアは衰退し、絶滅してしまうかもしれない。元気の良い新興の報道メディアも一向に出てこない。AIが「トラストな情報基盤」を代替することも当面は難しい。ご指摘の通り、事業者に任せるだけではトラストな情報基盤、健全な情報空間を維持できなくなる恐れが大きくなっています。

それは社会全体にとって極めて大きなマイナスです。いよいよ、補助金や振興策など政府の介入が必要な局面が来ていると考えています。それほど事態は深刻なのです。

ただし、政策的支援を受けるためにはオールドメディアが「トラストな情報基盤」としての信頼回復に努めなければなりません。そのうえで、それこそ民業としての限界なので支援が必要だという構図が重要です。ところが、一番厄介なのは、オールドメディアは自分たちが人々から信頼されているといまだに信じ込んでいることです。そのズレた意識を修正しなければ、AI時代の報道の在り方という重大テーマについて語ることすらできないという、この窮状から抜け出せないでしょう。

菊池 政策的介入という劇薬を投入しなければならないところまで来ているという警鐘ですね。まことに、ありがとうございました。


Interviewee

西田 亮介 / Ryosuke Nishida

日本大学 危機管理学部危機管理学科 教授

東京工業大学 リベラルアーツ研究教育院 特任教授

1983年京都生まれ。慶應義塾大学総合政策学部卒業。同大学院政策・メディア研究科修士課程修了。同大学院政策・メディア研究科後期博士課程単位取得退学。同大学院政策・メディア研究科助教(有期・研究奨励Ⅱ)、(独)中小機構経営支援情報センターリサーチャー、東洋大学、学習院大学、デジタルハリウッド大学大学院非常勤講師、立命館大大学院特別招聘准教授を経て、2015年9月から東京工業大学大学マネジメントセンター准教授。2016年4月より東京工業大学リベラルアーツ研究教育院准教授。2024年から現職。東京大学公共政策大学院非常勤講師等を兼任。博士(政策・メディア)。専門は公共政策の社会学。