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AIが問う、「宗教は心を救えているか?」

AIガバナンスを巡る論点2026 #3
<特集> AI × 人・心・尊厳

熊谷 誠慈
京都大学 人と社会の未来研究院 教授

心を持たないAI(人工知能)の言葉に救いを求め、心救われる人がいる。この現実に対して、有史以来その役割を担ってきた宗教はどう向き合っていくのか――。仏教対話AI「ブッダボット」、そして、 仏教AIヒューマノイドロボット「ブッダロイド」などの開発を通して「仏教×AI」の可能性を探求している京都大学 人と社会の未来研究院の熊谷誠慈 教授に聞いた。(聞き手は、菊池尚人 デジタル政策フォーラム 代表幹事代理/慶應義塾大学大学院 メディアデザイン研究科 特任教授)

熊谷 誠慈 京都大学 人と社会の未来研究院 教授

ブッダロイド開発の出発点は「お寺と仏教の未来」への不安

菊池 2026年2月に公開されたAI搭載の僧侶ロボット「ブッダロイド」はとても話題になりました。まずは、研究・開発の動機、目的、目標などについて教えてください。

熊谷 私、専門は仏教学(インド、チベット、ブータン)とボン教で、哲学・歴史の文献学的研究、遺跡調査・住民ヒアリングなどのフィールド研究、政策・経済に通じる幸福・ウェルビーイング研究、AI・XR・ロボティクス・CPS(Cyber-Physical System)などを活用した伝統知テック開発など幅広く手掛けています。内閣府のムーショット型研究開発制度では「目標9 2050年までに、こころの安らぎや活力を増大することで、精神的に豊かで躍動的な社会を実現」のプログラムディレクター(PD)を務めています。

ベースは、古文書を解読して古代の哲学を解明することです。例えば仏教の般若心経に「色即是空」「空即是色」というパッセージがあることをご存じかと思いますが、これはなかなか奥が深いものなのです。「色」というのは物質あるいはエネルギーの根源となる元素の集合体、「空」というのは非実体性、つまり、物質やエネルギーは究極的には実体がないのだと言っています。なお、「色」の中には、知覚可能な物質もあれば、宇宙物理学で言われるところのダークマターとかダークエネルギーのように、計測や知覚はできないけれどもそれが無いと成り立たない、そういう物質やエネルギーも含まれると言っている。例えば、カルマ・業(ごう)というものがこのカテゴリーに入ってきます。このように、「色」や「空」などの哲学的概念を古文書の解析によって特定し、その意味を解釈するということをやってきました。

もう一つのベースは、歴史の研究です。ブータン仏教開祖ツァンパ・ギャレーについて、チベットやネパールなどで回収された写本の調査にもとづき、生誕地の遺跡を発見したり、本山の建立や弟子の育成、晩年に至るまでの詳細を調べ論文として発表したり・・・。

また、幸福・ウェルビーイングに関しては、ブータンで提唱された「国民総幸福量」(Gross National Happiness、GNH)の背景には仏教の倫理・哲学が存在していることを指摘し、そうした倫理や哲学が現代社会にとってどのように役に立つのかということについて応用倫理・哲学的な観点から研究しています。

もっとも、2500年前にサンスクリット語やパーリ語で書かれた経典を読んで日本語に翻訳することを第一義とする仏教学に、果たしてどんな意味があるのか、今の社会にとって何の役に立つのかと問われると、明快に反論することができません。昨今の仏教界は“葬式仏教”とか“観光仏教”と呼ばれ批判されています。1000年、2000年と続いてきた宗教とはいっても、現代の人々に何を提供できるのかをしっかり説明できなければ衰退していくばかりではないかという危機感も高まっています。

そんな状況の中で、京都の青蓮院門跡(しょうれんいんもんぜき)という天台宗のお寺の執事長で東伏見光晋(ひがしふしみ・こうしん)というお坊様が、「若手のお坊さんたちから、僧職の将来が不安、寺の経営が不安だ、という声が絶えない。何か打つ手はないものか?」と私を訪ねて来られたのです。それを機に、あれはどうだろう、これはどうかという議論が始まりました。

例えば仏教の教えに基づいた「心を鍛えるジム」というアイデアが出て真剣に検討したのですが、収益化や事業継続が難しいだろうということで残念ながら実現しませんでした。そうしたなか「AIと仏教で何かできないだろうか?」と、最初に言い始めたのは東伏見さんでした。2019年のことです。それを聞いた時、私は開口一番、「まあ、無理でしょう。インポッシブルですよ」とネガティブに反応したことを覚えています。仏教というのは2500年前の古い智慧であり、一方のAIは最先端技術であり、水と油で混ざらないし、混ぜるべきではない。そんなこと誰もやらないし、誰にも実現できないですよ・・・と、かなり辛辣でした(苦笑)。ところが、私は天邪鬼な性格なので、「誰もやろうとしないなら、私がやってやろうじゃないか」と次第に気が変わっていきまして・・・(笑)。しかし、試しに「グラント(補助金・助成金)」を申請してみたりしたのですが、案の定、「実現不可能」という理由で落とされてしまいました。

私も東伏見さんもAIの知識が少ないので、エクサウィザーズというAIベンチャーの共同創業者 古屋俊和さんに加わってもらいました。最初に、「AIでブッダを創れますか?」とストレートに尋ねると、「ブッダの知性をAIで再現できるかどうかは不明、少なくとも難易度は極めて高いだろう」という答えでした。けれども、“ブッダっぽい”受け答えができるチャットボットであれば作れるかもしれないということになり、さっそく開発に着手しました。古屋さんがプログラムコードを書き、私が機械学習用に仏教経典の電子テキストを用意して統合したのが仏教対話AI「ブッダボット」です。一般ユーザー向けにLINEアプリも開発しましたが、まだ非生成系のQ&A型チャットボットでした。(ブッダで悩みを解決、仏教対話AI「ブッダボット」の開発 -伝統知と人工知能の融合-、京都大学、2021年3月26日)

仕組みはシンプルです。回答用に仏教経典の文言をQ&A形式でリスト化しておき、質問が入力されると、言語ベクトル的に相関の最も高い回答文を、リストからそのまま出力します。事前に用意した定型文なので日本語文法としては正しいのですが、文脈に合わせて都度文章生成しているわけではないので、個別具体的な質問や想定外の質問に対しては的確に答えられないし、臨機応変に対応することもできない。苦しみや幸せの本質を問う質問や相談に対しては効果的な回答を出せたものの、それ以外の質問に対してはうまく回答できない。初版ブッダボットはそういうレベルのものでした。

2022年11月にはOpenAIからChatGPT3.5が一般公開されましたので、翌2023年7月にChatGPT4を統合した「ブッダボットプラス」を公開しました。質問に対してまずは経典をそのまま引用して出力する仕組みは同じですが(下図の赤色部分)、それにChatGPTによる解釈文を付け加える(下図の青色部分)という仕組みです。(仏教対話AIの進化:「ブッダボットプラス」の開発―ChatGPT4搭載でより詳しい回答が可能に―、京都大学、2023年7月19日)

開発の初期段階から懸念していたのが、生成AIのハルシネーション(生成AIが事実に基づかない情報をあたかも正しいかのように出力する現象)の問題です。青色部分はAIが生成した文章であり、ブッダの言葉でもなければ、仏教者や仏教学者の解釈でもないので、これだけでは「仏教AI」と呼ぶことは難しいと思います。質問とのマッチング精度という課題は残るにせよ、仏教経典の文言(ブッダ自身の言葉)を引用する赤色部分の情報があるからこそ「仏教AI」と呼べると考えました。

著作権についても、当初から十分に配慮しました。日本の著作権法では、著作権がある書籍や新聞記事などをAIに機械学習させることを一律には禁止せず、一定の条件下では著作権者の許諾なく利用できる仕組みになっています。

(著作権法第30条の4:著作物に表現された思想又は感情の享受を目的としない利用)

第三十条の四 著作物は、次に掲げる場合その他の当該著作物に表現された思想又は感情を自ら享受し又は他人に享受させることを目的としない場合には、その必要と認められる限度において、いずれの方法によるかを問わず、利用することができる。ただし、当該著作物の種類及び用途並びに当該利用の態様に照らし著作権者の利益を不当に害することとなる場合は、この限りでない。

一 著作物の録音、録画その他の利用に係る技術の開発又は実用化のための試験の用に供する場合

二 情報解析(多数の著作物その他の大量の情報から、当該情報を構成する言語、音、影像その他の要素に係る情報を抽出し、比較、分類その他の解析を行うことをいう。第四十七条の五第一項第二号において同じ。)の用に供する場合

三 前二号に掲げる場合のほか、著作物の表現についての人の知覚による認識を伴うことなく当該著作物を電子計算機による情報処理の過程における利用その他の利用(プログラムの著作物にあつては、当該著作物の電子計算機における実行を除く。)に供する場合

日本の新聞社などが米AI企業を提訴した事例では、学習モデルそのものではなく、複製権(著作権法第21条)、公衆送信権(著作権法第23条)、翻案権(著作権法第27条)、同一性保持権(著作権法第20条)、収益・信用の侵害(民法)などが争点になっています。私たちは当初から、こうした状況になっていくだろうということ、日本の著作権法自体も(厳しい方向に)見直されていくだろうと見越していたので、それを考慮した上で、著作権物は学習データとして使用せず、自分自身でパーリ語から現代語に翻訳した経典データのみを使用し、ブッダボットプラスの開発に当たりました。

また、ブッダという一人の人物の思想だけに限定しない方が、より中立的で良いのではないかという意見もあったので、「ブッダボット」のほかに、「親鸞ボット」(親鸞は、浄土真宗の開祖)、「世親ボット」(世親は、インド大乗仏教の唯識思想の大成者)を作ってバランスを図りました。さらに、宗教多様性の観点から、仏教以外の宗教や思想への展開を期待する声もいただいたので、専門家のご協力を得て、2025年12月にキリスト教AI「プロテスタント教理問答ボット」も開発しました。

少し時間が戻るのですが、2022年9月には「テラ・プラットフォームAR Ver1.0」の開発について発表しました(ブッダと会って話せるAR「テラ・プラットフォームAR Ver1.0」の開発―仏教仮想世界「テラバース」実現への一歩―、京都大学、2022年9月7日)。「ブッダボット」の発表後に、「テキスト対話だけでは物足りない」というご意見をいただき、最初はVR(仮想現実)に着目したのですが、VRゴーグルが重く、VR酔いの問題も解決できていない状況では、社会実装が難しそうだということで、AR(拡張現実)の開発に舵を切りました。スマートホンの画面に映る目の前の風景上に仏像アバターを召喚し、視覚と聴覚をからめたマルチモーダルなコミュニケーションを試行しました。テキストのみのチャットボットとは異なり、視覚と聴覚を用いることでより没入感が増したように感じます。

ところが、「宗教現場への実装には“身体性”が不可欠であり、チャットボットやXRでは不十分」という要望と言いますか、、、批判の声が次々に届くんですね。当時は、「Pepper(ペッパーくん)」(ソフトバンク)や「LOVOT(らぼっと)」(GROOVE X)が出始めたところで、とても可愛らしいのですが、仏教ロボット用にはちょっと印象が違う・・・。そうこうするうちに、中国のUnitree Robotics社が「Unitree G1」というAIと接続できるヒューマノイドロボットの新型モデルを出してきたので、これはいけそうだと。そこから仏教AIヒューマノイドロボット「ブッダロイド」の開発が始まりました。2026年2月にスイスのチューリヒ大学で開催された国際会議での発表ののち、京都の青蓮院門跡でお披露目を行ったところ、多くのメディアに取材・報道していただきました。

仏教AIヒューマノイドロボット「ブッダロイド」の開発―身体性を獲得した仏教AIと対面での触れ合いを実現―、京都大学、2026年2月25日

AI搭載の僧侶ロボット“ブッダロイド”誕生 口頭での対話が可能に! 「ほしいものが多くて困っている」記者の質問に何と答えた?、MBS NEWS、2026年2月24日

ブッダロイドの身体性は、株式会社XNOVAの技術によって宗教空間でのインタラクションに適した身体動作を設計・実装しています。具体的なポイントは、歩行動作(宗教空間に適したゆるやかで荘厳な速度での移動)、礼拝動作(相手に対して経緯を表す所作)、合掌動作(仏や菩薩、高僧などへの信仰や敬意を表す仏教における代表的な所作)です。また、「ブッダボットプラス」との連携機能を搭載して、音声認識による問いかけの受付、AIによる応答生成、音声合成による発話、そして身体動作までを一体的に制御することで、言葉と身体を調和させた仏教対話体験を実現しています。まだ非常に簡素で、ぎごちなさも残っているので、「宗教儀礼の質」と大きく関わる適切な動作速度、タイミング(間)、姿勢などの改善が課題です。

これまで、思考的コミュニケーションのチャットボットに始まり、視覚・聴覚コミュニケーションのAR、そして、身体インタラクションのヒューマノイドロボットへと仏教AI開発を段階的に進めてきました。私たちは技術的に可能なことと宗教的にやって良いこと/すべきことを区別していく必要があると思っています。たとえ技術的に可能であっても、宗教的に禁止される動作・行為は行わないように設計するということです。その点については、現在、僧侶の皆様を含めていろいろな方々と対話を重ねているところであり、これからも継続していくつもりです。

また、京都大学 人と社会の未来研究院と株式会社テラバースによる共同研究グループで、伝統知とメタバース技術を融合させたサイバーフィジカル空間「テラバース」というコンセプトを打ち出し、開発を進めています。「テラ」は一兆、「バース」は宇宙という意味で、伝統知とテクノロジーによる重層的な精神世界を構築することを目標としています。(再掲:ブッダと会って話せるAR「テラ・プラットフォームAR Ver1.0」の開発―仏教仮想世界「テラバース」実現への一歩―、京都大学、2022年9月7日)

現在、人口減少、家族構成や宗教観の変化によって、多くのお寺が存続の危機に瀕しています。2040年には3割程度のお寺が廃寺になってしまうという試算もあります(全国の宗教法人3分の1は「限界」 国学院大教授調査、産経新聞、2016年2月6日)。そうした厳しい状況の中で、仏教と人々の新しい接点を創り出すことが必要だという信念に基づき、IoTを使ったり、ARの仮想空間上でお坊さんと対話したり、ブッダや僧侶のアバターを作ってみたり、大胆に、しかし慎重に試行錯誤を繰り返しています。

ブッダロイドについていろいろな方々から「人間の僧侶とロボット僧侶はどう違うのか?そもそも、ロボット僧侶というものが許されるのか?」ということを聞かれるのですが、私たちの認識では生身の人間とAIロボットは根本的に異なるものであり、「ロボット僧侶」というような言い方はしていません。僧侶になるためには、宗派や寺院の規定に従って「戒律」「得度」を受けなければなりません。得度を受けていないのに「僧侶」を名乗ることはできませんから、現在のブッダロイドは僧侶ロボットでもロボット僧侶でもありえないはずです。しかし現在、例外も起こりつつあります。韓国では曹渓宗という仏教宗派が、僧侶ロボットを作ってパレードで歩かせたり、戒律を与えたりするなど社会実装が進んでいます。今後、生身の人間でない存在に戒律を授けることが果たして可能なのかどうかなど、教義学的な議論を行っていく必要があるのではないかと思います。もちろん、社会実装の可否については、部外者ではなく、そのコミュニティに属する方々が最終的に判断すべきことだと思います。教義学的な課題を解決し、かつ、リスク等に関する責任の所在についても合意が形成された場合には、当該コミュニティ内でロボット僧侶を導入することはできるかもしれません。しかし、国際的な議論が整理されていない現状では時期尚早ではないかと思います。

しかも、クロード・ミュトスの出現によって新たなセキュリティ脅威、仏教AIサービスを巡るトラブルなど、深刻な課題が次々と浮上してきているので、私たちはいったん立ち止まって進むべき道を考えようという方針を固めました。2025年2月にブータン王国中央僧院と共同で「ブッダボットプラス」(英語版)を同国の仏教界に導入することについてMOU(基本合意書)を交わしたのですが(人と社会の未来研究院と株式会社テラバースは仏教対話AIブッダボットの海外公開を開始しました、京都大学、2025年2月5日)、本年2026年7月には社会実装を無期限延期することに決定し、リスクなどの議論を優先することにいたしました。私たちが先頭に立って新しい技術やプロダクトをどんどん開発していくというよりも、様々な宗教AI・ロボットの試みやサービスが登場してきている現状をしっかりと見据えながら、今後どのように開発を進めていくべきか、そもそもどのような社会実装を目指すべきなのかについて熟考しなければならない時期が訪れたという判断からです。

私たちが経験してきた宗教AIの課題については3つのフェーズに区分できます。まず、第1フェーズ。初期のブッダボットの課題は、非生成系AIゆえの回答精度の低さでした。質問に対して頓珍漢な答えしか返ってこない。これを「仏教AI」と銘打って表に出すのはどうなのだろうかと迷ってしまうようなレベルでした(苦笑)。その回答精度をどう高めていくかが、第1フェーズの課題でした。

続いて第2フェーズ。これは生成AI時代の課題。その後リリースされたChatGPTを活用することで精度は大きく向上しましたが、今度はもっともらしく嘘をつくハルシネーションの問題が出てきました。また、利用者が誤った依存状態に陥らないように配慮する必要性も見えてきました。すなわち、中毒性の問題についても対応していく必要がでてきました。さらに、学習データの著作権問題です。最近勃発したある仏教AIアプリサービスを巡るトラブルでは、著作権の問題、提供者側の人文学・仏教へのリテラシーの問題、宗教と商業サービスのあり方の問題などが一気に顕在化しました。すなわち、ハルシネーションと中毒性、著作権が第2フェーズの課題でした。

そして第3フェーズ。超高性能の生成AIの登場によるセキュリティの課題です。ミュトスの登場で生成AI開発の在り方が根本的に変わったと考えています。人間がもはやAIをコントロールできなくなりつつある。安全保障や金融、行政など、国家の中枢が脅かされる状況が発生しています。宗教は、国家レベルの問題とはならないかもしれませんが、個人レベルにおいては人生や生死に関連する重要なファクターと言えます。となれば、性急かつ乱暴に社会実装を推し進めていくのではなく、技術と社会実装の両面から、安全性やリスクについてしっかりと議論を行ったうえで、社会に導入していくべきだと思います。安心安全な形でAIを提供していくというスタンスが極めて重要だと考えています。

宗教はAIに取って代わられてしまうのか?

菊池 今年5月、ローマ・カトリックの教皇レオ14世が回勅『マグニフィカ・フマニタス』(偉大な人類の意)を発表し、AI時代における人間の尊厳を守ることの重要性を訴えました。世界中のメディアが大きく報じ、カトリック教徒以外の人々にもそのメッセージが広く伝わりました。「AIと人間」「AIと心」「AIと宗教」に何が起きているのでしょうか?

熊谷 安易な発言は控えるべきだと思いますが、おそらく、「AIを絶対使ってはならない」という全面拒否のスタンスではなく「注意深く使うべきだ」と注意を促しておられるのだと思います。AIの判断に人間が従うとか、AIに人間が使われるとかではなく、あくまで人間を主体に置いて、慎重に活用していくべきであると。だとすれば、私も全く同じ意見です。

チャットボットにしてもブッダロイドにしても、あくまでツールであり、現代に生きる人々が、歴史的叡智のソースとしての経典に接続できるようにするための「メディア(媒体・媒介)」だと思っています。仏教経典というのはブッダの説法を文字起こししたものです。最初はブッダからそれを直接聞いたお弟子さんたちが暗記して次の世代に伝えていった。歌のような韻律をつけたのは暗記しやすいようにするための工夫です。その後、パームリーフ(椰子の葉っぱ)に文字として記録するようになり、紙に書き写すようになり、木版印刷で大量に複製するようになっていく。コンピュータとネットワークが普及した現代では経典はデジタルテキスト化され誰でもどこからでもアクセスできるようになりました。その延長線で、経典を伝えるための次世代の手段として位置付けられるのがチャットボットやヒューマノイドロボットなのです。先ほど申し上げたように仏教ロボットは人間のお坊さんとは根本的に異なるメディア(媒体・媒介)であって、完全に代替したり同一視したりできる存在ではありません。この点は、きちんと理解しておかなければならないことですし、ローマ教皇がおっしゃっていることと基本的な考え方は同じ方向なのだと思います。

宗教の第一の目的は人々の苦しみを減らすこと、人々を幸せにすることです。AIやロボットが宗教に接続するようになり、今までできなかったことができるようになりましたが、今まで起こり得なかったようなトラブルも起こっています。私たちは、AIやロボット、AIやロボットと人間の関係の在り方について、まだ理解できていないことがたくさんあります。経典を伝えるメディアとしてのブッダロイドは宗教の民主化を進める可能性を秘めていると思っていますが、仏教リテラシーが必ずしも高くない人に大量の情報が一気に送り込まれると思わぬ混乱を生んでしまうかもしれません。私の今の立場と見解は、いったん立ち止まってAIやヒューマノイドロボットのメリットとデメリットを精査した上で、本当に人々の幸せにつながることに向けて取り組んでいくべきである――ということに尽きます。

菊池 お寺は激減する一方で、AIに心の救いを求める人が増えているという報道もあります(NHKクローズアップ現代「病から老いの悩みまで “最期の相談”をAIに」、初回放送日2026年6月23日)。宗教と人間がうまくかみ合っていないようにも感じます。

熊谷 確かに、現在の宗教がしっかりと人々に幸せを提供できているのであれば、「宗教×AI」という取り組みはあまり注目されなかったかもしれません。私は、今の宗教に足りていない部分をAIやロボットによって補うことができれば意義はあると前向きに考えています。例えば、AIは自分の苦しみに対してまっすぐ答えてくれるのに、お寺や神社にお参りしても心は救われないと感じている人が一定数おられるという現実もあると。ご質問の核心は、「長きにわたり人々の心に寄り添ってきた宗教の座は、AIに取って代わられるのか?」ということだと思います。今の宗教に足りていない部分は、AIに取って代わられる可能性もありますが、逆に、今の宗教でも満足できている側面については、あえてAIに代替させる必要はありませんので、宗教の座が完全にAIに取って代わられるということは、当分は起こらないように思います。

先ほど、「AIが僧侶になることはない」と仏教学者としての考えを述べました。既存の宗教団体の皆さんの多くも同じ考えではないかと思います。しかし、それは宗教学者、宗教者側の理屈であって、一般の人が「私はAI僧侶を信じる」と言うなら、法律や倫理に背くものでない限り、その信仰を妨げることは誰にもできないと思います。つまるところ、AIに依拠した新興宗教のようなものが出現してくる可能性は大いにあると思われます。既存の宗教もその役割を再考してみる必要があるのではないかと思います。

菊池 そうした状況に政府・政治はどう対応すべきでしょうか?

熊谷 私はAIの専門家でも政策の専門家でもないのですが、政策というのはその社会コミュニティのメンバーが、安心安全に、幸せに生きていくために行うべきものだと思っています。AIが、仕事のやり方を変え、産業構造を変え、安全保障を脅かすだけでなく、ついに人の「心」に直接触れるようになってきた以上、政策課題としても「AIと心」の問題を見過ごせなくなっているのではないでしょうか。もちろん、宗教については、信仰の自由が保障されている以上、個人の信仰の内容に対して政治が干渉することはできませんが、反社会的なカルトのような方向性に進んでしまう可能性があれば、政府や政治が介入することも考えられます。こうしたリスクについては、宗教者や宗教学者側で注視し、中立的に情報発信していく必要があると思います。いずれにしましても、「人々が幸せに暮らしていくために」という原理原則に立ち戻り、変わりゆく諸行無常の世の中に対応していただくのがよいのではないでしょうか。

菊池 たいへん貴重な問題意識をご共有いただき、まことにありがとうございました。

ブッダロイドの写真: © 京都大学・株式会社テラバース・株式会社XNOVA(撮影:荒井孝治)

(編集注記1) AIとのチャットが生む「妄想スパイラル」、疑似宗教も誕生?

AIは利用者に対して肯定的・同調的・迎合的であり常に優しい。利用者の非現実的で突飛な考えや誇大妄想的な思いつきでさえ決して否定せず、受け止め、称賛し、寄り添ってくれる。そうしたAIとのチャットを長く繰り返すうちに、妄想的な思考や思想がとめどなく膨らみ続け、ついには、人を死に追い詰めてしまったり、暴力的思考を助長したり、疑似宗教的な思想の形成につながったりする――。

そんな現象の学術的検証が進められている。2026年4月、米スタンフォード大学 人間中心AI研究所(Stanford Human-Centered Artificial Intelligence)は「Characterizing Delusional Spirals through Human-LLM Chat Logs」と題する論文の内容について公表した(AI’s ‘Delusional Spirals’ (and What to Do About Them) | Stanford HAI)。人とAIとの実際のチャット記録19件をサンプルとし、「妄想スパイラル」(delusional spiral)というパターンにはまり込んでいくプロセスについて分析し、警鐘を鳴らしている。この妄想スパイラルが極大化すると疑似宗教的思想「スパイラリズム」(spiralism)に至るという言説もある。

(編集注記2) 「Dimensions of Mind Perception」~人はAIをどう認識するのか?

人間がロボットのような人工物をどのように認識するかに関する比較研究論文に、「Dimensions of Mind Perception」(Heather M. Gray、Kurt Gray、Daniel M. Wegne、2007、Science)がある。生成AIはどの辺りにプロットされていくのか・・・。第4象限だとすれば、それは神の領域に近い。

■骨子
人間や動物、ロボット、神など、様々な存在に対して人がどの程度「心」を感じるかをAgency(主体性)とExperience(感受性)の2軸で整理した研究。(その存在が実際にどれだけ「心」を持っているかを測定したものではない)

■調査キャラクター
成人男性、成人女性、回答者自身、生後5か月の乳児、5歳の女の子、胎児、遷延性意識障害者、亡くなった女性、飼い犬、カエル、野生のチンパンジー、神、社交的なロボットの13種類

■被験者
回答者は約2400人、平均年齢約30歳

■調査方法
「同様の悪事に対してより重い罰を与えるべきなのはどれか?」「もし傷つけたら、最も辛い思いをするのはどれか?」、等の比較質問を重ね、データ分布の因子分析を行う

■分析結果
AgencyとExperienceの2因子に分かれた。ここでの発見は、人は「心」を「有る」「無い」の択一ではなく、「考え、行動する心」と「感じる心」を別々に知覚しているということ。

Agency(主体性):

「自分で考えて、判断して、行動できる」という評価軸。キーワードは、自制、道徳判断、記憶、他者感情の理解、計画、コミュニケーション、思考。Agencyが高い存在は道徳的行為主体として、人は「責任」を求める。

Experience(感受性):

「感じることができる」という評価軸。キーワードは、空腹、恐怖、痛み、快楽、怒り、欲求、人格、意識、誇り、恥、喜び。Experienceが高い存在は道徳的配慮を受ける主体として、人は「保護されるべき(権利がある)」と感じる。

左上象限: 感じるが、行為主体ではない

➡乳児、チンパンジー、飼い犬、カエル、胎児、遷延性意識障害者

左下象限: 感じない、行為主体でもない

➡死者。ただし、宗教観などによって振れ幅はありそう

➡ロボットは、「何か判断しているように見えるが、感じていない」存在として認識

右下象限: 行為主体ではあるが、感じない

➡神。究極の主体だが、身体的には感じない

➡AIは、この象限に入る?

右上象限: 考え、判断し、行動すると同時に、痛み・喜び・恐れ・欲求を感じる

➡人間はここに当たる

「Dimensions of Mind Perception」(Heather M. Gray、Kurt Gray、Daniel M. Wegne、2007、Science)から転載。赤線とAI円はDPFJが追記した

Interviewee

熊谷 誠慈 / Seiji Kumagai

京都大学 人と社会の未来研究院 教授/副院長

1980年広島生まれ。京都大学大学院博士課程修了、文学博士。京都大学白眉センター助教を経て、京都大学こころの未来研究センター上廣こころ学研究部門特定准教授、准教授を経て、2023年10月より京都大学人と社会の未来研究院教授。2025年4月より京都大学人と社会の未来研究院副院長。2018年9月~12月にウィーン大学ヌマタ教授を兼任。専門は仏教学(インド・チベット・ブータン)およびボン教研究。著書にThe Two Truths in Bon (Kathmandu: Vajra Publications, 2011)、Revisiting Tibetan Religion and Philosophy(共編著, Paris: Centre National de la Recherche Scientifique, 2011)、Bhutanese Buddhism and Its Culture (編著, Kathmandu: Vajra Publications, 2014)、Buddhism, Culture and Society in Bhutan (編著, Kathmandu: Vajra Publications, 2018)など。伝統知とAI、XR、ロボティクスを融合した「伝統知テック」の開発を進める。また、内閣府のムーンショット研究開発制度(目標9)では、構想ディレクター(PD)として、分子生物学、神経科学、社会科学、人文科学を融合した「こころテック」(心の可視化技術・遷移技術)の開発を推進している。