pagetop
AIガバナンスの論点2026バナー

AI時代に「人の尊厳」をどう守るか?

AIガバナンスを巡る論点2026 #1
<特集> AI × 人・心・尊厳

大澤 博隆
慶應義塾大学理工学部 教授/慶應SFセンター センター長

AIがまるで意識を持っているかのように人と対話するようになり、さらにフィジカル空間へと拡張しつつある。かつてSF(サイエンス・フィクション)で描かれた未来図が次々と現実化する今、人間はどう向き合えば良いのか――。HAI(ヒューマンエージェントインタラクション)研究の第一人者であり、日本SF作家クラブ第21代会長も務めた大澤 博隆 慶應義塾大学理工学部 教授/慶應SFセンター センター長に聞いた。(聞き手は、菊池尚人 デジタル政策フォーラム 代表幹事代理/慶應義塾大学大学院 メディアデザイン研究科 特任教授)

大澤博隆先生-セレクト大澤 博隆 慶應義塾大学 教授

SFで描かれた空想物語が次々と現実に

菊池 AIの進化によって、かつてはSF(サイエンス・フィクション)の範疇だったことが次々に現実のものになっています。

大澤 確かにそうですね。ただし、「SFが未来を予見した」というよりも、SFを読み、影響を受け、科学者や技術者になった人たちが「SFが描いた未来」を実現したということだと思います。AI(人工知能)研究やその実装に取り組んでいる人たちにはSF好きが多く、かなり読み込んでいるという感触があります。

例えばイーロン・マスク。彼が設立したxAI社が開発した生成AIチャットボット「Grok」は、米国の著名SF作家ロバート・ハインラインのSF小説『異星の客』(東京創元社/1969年刊、原書はStranger in a Strange Land/1961年刊)に登場する火星語(深い理解の意)を引いて命名されたものです。Amazonの「Kindle」は、そのコードネームから、米SF作家ニール・スティーヴンスンの『ダイヤモンド・エイジ』(早川書房/2006年刊、原書はThe Diamond Age/1995年)に登場したインタラクティブな「本」が製品コンセプトに影響を与えたと推定されています。こうした例は数多くあり、SFで描かれたことがサービス・製品の開発者やプロジェクト推進者たちの「共通の未来認識」を形成していると言っても過言ではありません。

そして、大規模言語モデル(LLM)による生成AIの登場が大きな転換点になりました。AIが「言葉」を自在に扱えるようになったことによって、SFで描かれてきた「未来世界におけるAIと人間の対話」が日常的な現実として経験できるようになったのです。

例えば星新一さんのショートショート作品「肩の上の秘書」(1971年、新潮社刊の『ボッコちゃん』に収録)では、人々の肩の上にインコの形をしたAIロボットが止まっていて、持ち主がぼそぼそっとつぶやいたことを解釈したうえで、敬語などを付け足して相手に丁寧に伝えてくれます。そして、相手のインコが話した美しい表現は、簡潔に要点だけを耳打ちしてくれる――。これは、ChatGPTなどの生成AIを使ってメール文をつくったり長い文章を要約したりするかたちで一部実現しています。50年以上前にSFの物語として描かれたコミュニケーションの様子が、現代において現実となったと言えます。

ショートショート集の表題作「ボッコちゃん」は、バーのマスターが作った美形の人間型ロボットのお話し。簡単な受け答えと酒を飲む動作だけができるという設定です。作品が世に出た数年前、「ELIZA(イライザ)」という世界最初期の自然言語処理プログラムが開発されていました(1966年、米マサチューセッツ工科大学のジョセフ・ワイゼンバウムによる)。人工知能と呼べるような高いレベルではなく、人間が「頭が痛い」と言えば「なぜ頭が痛いのですか?」と返す程度でしたが、それでも当時は人間とコンピュータとのやり取りが驚きをもって受け止められました。

星新一さんがELIZAを知って「ボッコちゃん」を書いたのか定かではありませんが、SF作家が最先端の研究を熱心に調べ、作品に反映したケースはけっこうあります。そう考えると、「SFが未来を予見している」と読み手が感じるのは、SF作家さんが先進的な研究などを幅広く丹念に調べていて、それらから着想のヒントを得ているから、と言えるかもしれません。生成AIが人々にとって身近なものになって、過去に書かれたいろいろなSF作品での発想が社会に実装されるようになり、現実がSFに追いついてきたと言うことはできると思います。

一つ付け加えると、LLMは大量の文章で学習していますから、これまでに書かれてきた多くのSF作品も読み込んでいるはずです。「SFが描くAIのイメージ」を現実のAIが学習することによって、その出力や応答に何かしらの影響を与えているのではないでしょうか。「AIもSFから学んでいる」とすれば、SF的なAI像をフィードバックしている可能性もあります。

そういった諸々が相まって、SFの範疇だったものが現実になっているという空気感を醸成しているのだと思います。

人間のマネージャー化とプロセスの理解の欠落

菊池 AIは人間の「道具」であることを超えて、人間の「代替」、そして人間を「超越」するものになるかもしれないと言われていますが、変化があまりにも急激すぎて、個人・社会・経済・政策が追い付けない状態になっているようです。

大澤 多くの人間の役割が「マネージャークラス」へと強制的にシフトアップさせられていると感じています。AIはあくまで人間が作り出した人間のための道具ですが、場合によっては人間並みか人間以上の能力を持つようになってきている中で、「道具」というよりも「デキる部下」のようにうまく使いこなすことが徐々に求められているのだと思います。自分の仕事のうち、どの部分をAIに任せ、いかに全体を管理するかというマネジメントの素養が必要になっています。とはいえ、現場を知らずにいきなりマネジメントをするのは困難です。これまでは、新人から徐々にキャリアを積み、上司を見て学び、マネージャーとしての心構えを身につけていくという段階と猶予がありましたが、最初から「自分自身とAIのチーム」を管理する能力が要求されるようになってきました。そのことに多くの人が戸惑っています。

言わば「AIマネジメント能力」の養成が求められているのですが、肝心の教育現場ではAIが学生のための「便利な手抜きツール」として使われる側面があります。従来の教育では、まず基礎知識を身につけ、それを土台として知識を総括したり、繋ぎ合わせて新しい価値を生み出したりするという学習プロセスを踏んできました。ところが、AIを使えば、その過程の理解を全部端折ってそれっぽい課題レポートは出せるし、卒業論文すら書けてしまう。AIをマネジメントする能力はおろか、AIに過度に依存するだけの人材を社会に送り出してしまう可能性がある。AIを道具として使いこなせと言われつつ、道具として使いこなすためのプロセスの理解が空洞化する。そして、そのことが簡単に見えない。これは極めて重大なリスクだと思います。

プロセスが空洞化することの問題が顕著に現れるのが、最も人間らしい活動の一つ、創作に関わる分野です。作品を作る人達にとって、AIにどこまで任せるかは、単なる利便性の問題ではなく、創作者としてのアイデンティティの問題に直結してきます。創作活動におけるAI活用はどこまでなら許されるのか、AIに頼ることで自分自身のメッセージではなくなってしまうのではないか、背景描きなどの細かくて面倒な作業をAIで代替することはその作業に懸命に取り組んできた人たちの誇りと尊厳を棄損することにならないか――。こういう懸念からAIへの反発・反感も生まれています。AIによる代替は人のアイデンティティを奪い取ることにつながりかねないのです。

一般社団法人日本SF作家クラブ(SFWJ)は2023年、「現状の生成AI技術に関する、利用者、運用者、行政・立法、開発・研究者への提言」を発表しました(下の囲みに全文を転載)。AI技術の開発や活用を歓迎しつつ、創作物の複製問題を含め、現状の技術が抱える法的・倫理的課題に警鐘を鳴らす内容です。当時私はSFWJの会長を務めていたので主体的に関わっていました。今思えば、もっと踏み込んだ議論をしておくべきだったかもしれませんが、3年前の時点では精一杯だったとも思いますし、今でも通用する提言だと思います。

現状の生成AI技術に関する、
利用者、運用者、行政・立法、開発・研究者へのSF作家クラブの提言

人工知能による創作や、人工知能と人間との協調による創作は、SFの重要なテーマの一つです。我々は、適切な人工知能(AI)技術の使用が、創作において大きな手助けになりうることを理解しており、その発展を歓迎します。日本のSF作家や関係者は、AIの開発のために許諾済みの著作データを提供し、アイデア提供や広報に協力するなど、AI技術の開発に大きく協力してきました。我々は原則として、生成AIが人々の権利を侵害しない形で創作に使われ、人々の創作活動が広がることを歓迎しており、AIを作り、使い、AI生成物を楽しむ権利は守られるべきだと考えます。

一方で、現在広く使われている生成AI技術では、学習に用いたデータが、生成物にどのように貢献したかを示すことが技術的にできていません。この問題が未解決のため、生成AIの使用者は、生成物における学習元著作の影響や貢献度合いを評価することが困難です。そのため現状の生成AIでは、他者の著作権や著作者人格権(作品の同一性保持権含む)、肖像権や意匠権、商標などの他者の知的財産権を、自覚なく侵害することがありえます。AIの学習に関して著作権者の権利を制限する日本の著作権法30条4においても、著作物に表現された思想又は感情の「表現上の本質的な特徴」の享受を目的とする著作物の使用には、作者の許諾が必要となります(注1)。また、享受を目的としない場合であっても、同条柱書但書の「著作権者の利益を不当に害することとなる場合」に該当し、同条を根拠として作者の許諾なく複製等を行うことができない場合もあり得ます。

現状の生成AIに内在する上記問題が根本的に解決されるまで、我々人類は、執筆・描画・翻訳・演技・演奏・演出・開発・研究・編集・批評・出版に使われる生成AIについて、従来の創作用の道具以上に、注意深く使用する必要があります。

まず、生成AI技術を利用される方々については、現状の生成AI技術の限界を理解されたうえで、生成物の公表が上記で言及したものを含む現行法令に照らし、他者の権利を侵害していないことを、ご自身で十分に確認されることを望みます。

また、現状の生成AI技術を運用される方々については、上記の技術的限界を理解されたうえで、著作者の尊厳や権利を守る仕組みの整備にご協力いただくことを望みます(注2)。

各国の行政および立法に関わる方々については、現状の生成AIの技術的限界と同時に、創作産業において著作者の尊厳が確保され、そのインセンティブが阻害されないことの重要性をご理解頂き、生成AIによる権利侵害の可能性および、生成AIを理由とした不適切なダンピングや未発表著作の学習、契約条件の切り下げが行われるリスク、そのための創作産業保護と制度構築について、保護手段を検討ください(注3)。

最後に、生成AIに関わる開発者・研究者の方々においては、現状の技術的限界を抜本的に解決するためのAI開発をぜひ行っていただきたいと思っています。

対立を防ぎ、より良く社会で運用される試みに関わりたいと考えている会員は多くいます。当クラブは、創作に関わる米国、欧州、アジア、その他世界の機関と連携し、同様の試みが海外においても行われるよう、働きかけていきます。

SFには思考実験を楽しむ側面があります。現状の生成AIを巡る状況に注視し、また期待している会員は多くいます。一方で創作に関わるプロの集団として、現状の技術的限界に伴う問題については、指摘せざるを得ない点があります。

創作の権利を守り、同時に創作物の権利を守るため、本声明は会員の数か月の議論を経て生まれてきたものです。その点を念頭に、お読みいただけますと幸いです。

(注1)日本の文化庁も「AIと著作権の関係等について」において「3DCG映像作成のため風景写真から必要な情報を抽出する場合であって、元の風景写真の「表現上の本質的な特徴」を感じ取れるような映像の作成を目的として行う場合は、元の風景写真を享受することも目的に含まれていると考えられることから、このような情報抽出のために著作物を利用する行為は、本条の対象とならないと考えられる」([参考資料4]AIと著作権の関係等について)としています。これを小説に引き直せば、新たな小説の生成のため、小説から必要な情報を抽出する場合であって、元の小説の「表現上の本質的な特徴」を感じ取れるような新たな小説の作成を目的としている場合には、同条を根拠として作者の許諾なく複製等を行うことはできないと考えられます。

(注2)すでに具体例として、著作者が学習元を知る手段の提供や、権利上問題ないデータの使用、生成物の十分な変容性の確保、生成物への貢献に応じた名誉・金銭を含めた還元の仕組みの構築が行われており、このような取り組みを我々は歓迎します。

(注3)各国で、著作者が自身の著作物が学習元に使われているかどうかを知る権利、及び同意のない学習元著作物の削除を求める権利の確保等が提案されていますが、各国の実態に合わせ、こうした試みが推進されることを望みます。また日本において、現行著作権法その他の法令の解釈や当てはめが不明確であるところについては、現在文化審議会著作権分科会法制度小委員会がこの点の論点整理を行い、解釈を明確にし、具体的な生成AIの状況における当てはめを明らかにする予定であり、また、「AI時代の知的財産権検討会」も開催していますが、このような解釈や当てはめを明確にする取り組みにおいては、生成AIの学習元の著作物を作成する著作者や、生成AIを使う著作者の意見を十分反映することを求めます。

謝辞:本声明作成にあたっては、事前に生成AIの専門家である東京大学先端研原田研究室の森友亮氏をお呼びし、現状の生成AIについて、会員を交えた勉強会を行いました。会員間では討論会を含め、様々な議論を行いました。また、文面について弁護士で慶應義塾大学特任准教授の松尾剛行先生にご確認をいただきました。英訳については、理事であるタヤンディエー・ドゥニ教授に、学識経験者の協力を得て訳していただきました。その他、様々な専門家の方に事前にご確認をいただきました。クラブ内外のご協力者の皆様方に感謝します。

2023年10月14日

一般社団法人日本SF作家クラブ

AIの進化・普及を直視して、人間として深く考え直さなければならないことがとても多いと感じています。例えば、AIはSF小説も書けますが、そもそも、AIに書かせる行為にどういう意味があるかを、もっと真剣に考えないといけません。

先日、日本SF大会(第64回、愛称HELLCON/へるこん、於・大分市)に行ってきました。日本で最も長い歴史を持つSF賞である「星雲賞」の日本長編部門(小説)には、『烙印の名はヒト』(人間六度著、早川書房刊)が選ばれました。作者の人間六度さんは19歳の時に白血病になり、臍帯血移植で生還された方です。人間の体温は平熱(36度)こそが一番ということで付けたペンネームで活動されています。受賞作品のあらすじは、介護ロボットが入居者に頼まれて絞殺してしまうという事件から始まり、逃亡、追跡、バトルという展開の中で同時に問われる問いは、そもそもケアとはなにかということ、そして、人間主義を絶対視することへの疑問です。こうした問いが立てられ、それが人間六度さんという個人から発せられていることに、この物語の価値はあります。こうした問いの重要性をAIはそもそも論点に出来るか、仮に出来たとして、意味があるのか、疑問に思いますし、また個人的にとても気になっているところです。

AIが意識を持っているかのようにデザインすることの影響は重大

菊池 AIがまるで「意識」を持っているかのように振る舞うようになり、「人間とAIの関係性」の次元が変わりました。それに伴って、「心」「哲学」「宗教」といった観点からの考察が求められているように感じます。

大澤 そう、「まるで意識を持っているかのように」なんですよね。ここをしっかり理解しておかなければなりません。

米Anthropicは2026年7月に、LLMの内的状態を観察する仕組みを編み出し、それによるとLLMの内部では人間の意識と似たような現象が起きているようだという研究成果を発表しました(A global workspace in language models)。人間が何かしたいと思ったり、何かを食べたいと思ったりしている時にそのイメージをなんとなく頭に思い浮かべるようなのと同じようなことがAI内部で起こっているかもしれないというのです。

これに対して、AIが意識の問題に踏み込めているという見方もありますが、私はかなり抑制的というか懐疑的な立場です。Anthropicが言うようにAIの中で何らかの現象が起こっていたとしても、それが人間の意識と同じだと言える保証はまだない。AIに意識(consciousness)は宿るのか、AIがクオリア(qualia、主観的体験)を持てるのか、もっと簡単に言えば、高度な情報処理を行っているだけなのか人間のように理解し感じているのか(人工意識)――という科学・哲学上の論争がありますが、私自身は客観的に観察できていないものについて議論してもあまり意味がないと考えています。少なくとも、それはサイエンスの領域ではありません。私はあえて言えば「意識随伴説(Epiphenomenalism)」に近い立場に立っています。ある主体が情報を処理すると副次的に意識というようなものが生まれ得るという一方向の因果関係です。その上で私は工学者として興味がある問いは「意識/心はなにか」よりも「意識/心はなんのためにあるのか」、あるいは「なんのためにそれを作るべきか」です。

工学者の観点からもっと重要だと思っているのは、「AIに意識やクオリアが有るかのようにも無いかのようにもデザインできるし、そのように見せられる」ということです。「意識が有る」と見なされれば、倫理的、社会規範的、法的な保護対象にすべきという意見が出てくるでしょう。もしかしたら、「AI人格権」「AI生存権」のような権利を与えるという議論に発展するかもしれません。私は、少なくとも現時点において、そういう流れを作り出してしまうのは危険だと思っています。実態が明らかでないことを“見た目”だけで判断し、社会システムに修正を加えてしまうのはあまりにも安易であり早計です。逆に、「本当に意識が有るのに無いかのように隠すデザインも可能」でしょう。どちらについても、十分気を付けなければいけません。

意識が有るか無いかというのは哲学的にも科学的にも興味深いテーマですが、社会的に重要なのは、意識があると感じている人の気持ち、尊厳をどう守るかです。例えば、とてもよくできた犬の愛玩ロボットがあったとします。“飼い主”にとっては、それは家族の一員であり、心を通わせる相手であり、なくてはならない存在かもしれません。しかし、他の人にとっては、意識も感情もあるはずのないただのAIロボットです。だからと言って、その“愛犬”を粗暴に扱ったり、いじめたりすれば、“飼い主”はカンカンになって怒るでしょう。これはロボット自体の機能の問題ではなく、ぬいぐるみにも起きる話です。子どもが可愛がっているライオンのぬいぐるみを引き裂くような行為は、ライオンのぬいぐるみが賢いかそうでないか、意識があるかないかによらず、肯定されるべきではない。まず、ここは押さえておく必要があります。

そのうえで、最近の生成AIの音声会話レベルは著しく上がっていて、本物の人間と話しているような錯覚を与えることが容易です。AIに意識が有るか無いかではなく、有るかのように人間側が感じた瞬間に、AIと人間の関係性が全く変わってしまうのです。「AIが意識を持っているかのようにデザインする」ということは、人間とAIの関係性、その集合体であるAI時代の社会、その制度設計に重大な影響を及ぼし得るのです。

「創作の楽園ニッポン」、AI時代の三番手戦略と世界における日本の役割

菊池 大澤先生は、慶應大学で「ヒューマンエージェントインタラクション研究室(Human-Agent Interaction Laboratory, HAI-Lab)」を主催されています。HAIとはどのような研究分野なのでしょうか。その観点から、「AIガバナンス」についてどのような意見をお持ちですか?

大澤 HAIとは、人間と人工物とのインタラクション(相互作用、相互関係)をテーマとし、情報、工学、AI、ロボティクス、認知科学、心理学などを総動員した学際的研究です。ここで言う「人工物」とは、音声対話型インタフェース、センサーやアクチュエータを備えた大小のロボット/キャラクターなど様々で、私たちは「エージェント」と総称しています。

【慶應義塾大学 ヒューマンエージェントインタラクション研究室の概要】

自律して動くロボットや、音声・スクリーン上のキャラクターを使用する情報技術が社会の中に増えてきました。これらの自律したシステムの振る舞いを観察すると、人間はそのシステムをただの道具としてではなく「擬人化」して捉え、他者に対するのと同様の社会的やり取りを、人工的システムに対し意識的あるいは無意識的に期待するようになります。

このように、人間から社会的なやり取りを期待される人工システムを、我々の研究室では道具(ツール)と対比して「エージェント」と呼んでいます。

人の間に介在する社会的存在であるエージェントが、人間にどのように働きかけられるかを検討し、使用場面に合わせたエージェントをユーザに対し提示することで、人工システムはユーザの行動を予測し、認識し、ひいてはユーザに対する誘導・教示を行うことが可能となります。

本研究室では、人間と人間の認知したエージェントとのやり取りを、対人実験を介して分析すると同時に、センサ、アクチュエータ、プログラムを組み合わせ、人とシステムの間に介在する新しいエージェントシステムを作り出し、将来の社会の中で活躍する人工システムのあり方を探ります。

(ヒューマンエージェントインタラクション研究室のホームページから転載)

生成AIが登場するほんの数年前までは「いつか、こんなことができるようになったら・・・」と仮定して、実際は人間が動かすWizard of Ozと呼ばれる実験形式が主流でした。例えば「AIエージェントがフレンドリーに話す場合とそうでない場合で人間とのコミュニケーションにどのような差異が生じるか?」という問いを立て、まだ生成AIが無い頃ですから、研究員がAIエージェントの裏に隠れて、AIエージェントを決められた手続きで操作するというやり方を取ります。ところが、LLMの進化によりAIエージェントをより精緻に自由にデザインできるようになり、実験で試せる範囲が一気に上がりました。実験室から飛び出して、実際の生活現場でエージェントを動かして検証することもできます。人間はAIとどのように向き合うべきか、人間とAIとの関係性はどうあるべきかについては、期待だけでなく不安もあり、これからどのような問題が出てくるのか分かっていないところもあります。大胆に発想し、泥臭く設計し、テストして、修正していかなければなりません。HAI研究は今後、非常に重要な役割を担うことになると思っています。

ちなみに、生成AIによって言語処理のレベルが一気に上がったため、自然言語処理の研究者の中には基礎から応用へ、理論から社会実装へと研究の焦点をシフトさせる動きも出てきています。そうした他領域からの研究者が参入してくることで、HAI研究はますます活性化していくでしょう。

先ほどお話したように「エージェント」は人間がデザインして作るものであるが故に、人や社会のために役に立つ可能性に満ちている一方で、人を過度に依存させてしまったり、犯罪や自傷行為など間違った方向に導いたり、社会的・倫理的問題を引き起こす危険性も内包しています。つまり、AIが意識や意思を持つかどうかという議論とは全く別次元において、AIエージェントは人間が作るものである以上、それが人や社会に害を及ぼすことを防ぐためのアラインメント(調整・修正)やAIと人間が作り出すシステムのコントロール、ガイドライン(指針・基準)が必要不可欠だと思います。

そうした視点から、日本政府や関係者が協力して日本の人々の幸福に資するようなAIガバナンスを追求することはとても大切ですし、世界レベルのAIガバナンスのために貢献できることは多いと思います。残念ながら日本はLLMの研究開発やサービス提供においてグローバルリーダーであるとは言えない状況ですが、とはいえ、未だに強国の一角であり、オールラウンドの技術力、経済力、文化力を背景に日本のスタンスというのは世界からそれなりに注目されています。特に生成AIが生み出すコンテンツの様式は、イラストや動画等で日本的なものが支配的な面もあります。AI開発では米国・中国に次ぐ「三番手」ですが、コンテンツ面では世界がうらやむような自由で多様性に富んだ「創作の楽園」を築いたと誇っていいと思います。日本の弱みと強みを客観視し、世界における日本の役割を議論したうえでの「AI時代の三番手戦略」考えても良いと思います。世界からも期待されていることだと思います。ただし、常に二番手を狙える技術力を持つ三番手である必要はあると思いますが。

今の世界における日本の役割は、私がセンター長を務める慶應義塾大学KGRI サイエンスフィクション研究開発・実装センター(SFRDC)が2027年4月に、日本SF作家クラブと共同で「第三回国際SFシンポジウム」を開催する狙いでもあります。SFという“共通言語”を通し、人類のAI未来像について世界レベルの対話を触発したい――。そうした思いで活動を始めることで、日本という存在と役割が世界から一目置かれることにつながれば良いなと思っています。

第三回国際SFシンポジウム開催のお知らせ

冷戦期、ベトナム戦争下の1970年、日本で西側と東側諸国のSF作家を集めた国際SFシンポジウムが開かれました。第二回は、日本を割り、全世界を騒がせた東日本大震災の2年後、2013年にキャラバンの形で行われました。

世の中が激しく動く時、SFの想像力は常に求められてきました。

SFは文学であり、むろん、それ自体に物語としての価値があります。しかし、科学技術の発展とともに誕生した文芸分野であり、否応なしに科学技術と社会に影響を与えてきた分野でした。優れたSF作家は、優れたビジョナリーでもあります。H.G.ウェルズは誕生したばかりのNature誌で科学ライターとして活躍し、国際連盟の設立を呼びかけました、小松左京は1970年の大阪万博にビジョナリーとして関わり、まさに第一回のシンポジウムを主導し、大きな影響を与えました。

SFは先端を受け入れ、対立を包摂するジャンルです。第一回国際シンポジウムにも参加したジュディス・メリルらが提案した「スペキュレイティブ・フィクション」は、単純な科学技術小説に思弁的な要素を持ち込みました。その両方の流れが、SFには内在しています。ホラー、ミステリ、関連分野を含め、SFはジャンルと社会の結節点となり、人類文化を撹乱し、刺激をもたらす役割を担ってきました。

これは仮に人類文明が機械主体に置き換わろうと、変わらない流れでしょう。衣食住は言うまでもなく重要ですが、私たちは衣食住だけで生きているわけではなく、空想・ビジョンをエネルギーとして生きているからです。

相次ぐ政治混乱と戦争、気象異常、そして人工知能技術の急速な発展により、人類はかつてないほど揺れています。その中で、スペキュラティブな発想で社会の想像力の先端を突き進んできたSFの価値を議論する場として、科学技術立国、文化の結節点、創作文化の発信源、オルタナティブなフィクションを奨励してきた日本で、第三回の国際SFシンポジウムを開きたいと考えています。

ぜひ、ご参加いただき、想像力で人類を撹乱する試みに、参加いただけますと幸いです。

(SFRDCのホームページより転載)

AIは関係性を設計する道具

菊池 大澤先生は、HAI研究の本質は「ロボットのハードウェア」ではなく「人間が何を感じるか」であって、エージェントという人工物を「道具」ではなく「他者」としてとらえ、人間との相互作用を重視されています。また、エージェントの「擬人化」についても必ずしも人間そっくりであるかどうかが問題ではないというスタンスですね。

大澤 はい、HAI研究の中核には人間とエージェントとの「関係性」を置いています。これまで「1対1」については研究が尽くされてきたので、これからは「1対n」「n対1」「n対n」といった複雑系に焦点が移っていくでしょう。そして、AIエージェントは「人間を代替するもの」ではなく、「人間社会を拡張するもの」として位置付けています。これまでも人間社会は「人間」と「人間ではないもの」のネットワークとして形作られてきました。ペットや家畜などの伴侶動物はその例です。人間ではないけれども家族のような関係性によって結びつけられ、人間に幸せや豊かさを与えています。AIエージェントという人工物が人間にとってそのような存在となるためにはどのようにデザインすれば良いのか、という視点で研究に取り組んでいます。

最近発行された『ショートショートなSF』(日本SF作家クラブ編、早川書房刊)に、私が執筆した「配慮の衝突」という作品が掲載されています。ある男の子を中心に、「教育係のAIロボット」と「癒し系のAIぬいぐるみ」という特性が真逆の2つのエージェントが引き起こした事件を描いたものです。それぞれのAIエージェントは人間の役に立つようデザインされるのですが、関係性の組み合わせ方によっては、結果として人間を苦しめたり追い詰めたりしてしまうことになるかもしれない。今後、そういうところまで考慮したAI社会のデザインが必要になってくると思っています。

菊池 AIが人間を代替するのではないか、AIが暴走するのではないか、AIに人間は支配されてしまうのではないかといった「恐れ」の空気を漂い始めていますが、大澤先生の考えでは、人間とAIの関係、AI社会の在り方はあくまで人間がデザインするものであり、そのためのアラインメントやガイドラインが「AIガバナンス」なのだということですね。AIに対して全く無防備・無警戒でいるべきではないと思いますが、人間とAIを二項対立や敵対関係、優劣の尺度でとらえてしまうと正しい方向を見誤ると思います。

大澤 便利な道具としてのAIを今さら手放してもいいと思う人は、もはや、ほとんどいないのではないでしょうか。また、「からだ」や「こころ」のレスキューを必要としているのに手が差し伸べられない人たちがいて、そういう人たちがAIに救いを求められるようになったことは良いことですし、そこに強い規制や制限をかけるべきではない、と私は思います。

ただし、人間の「こころ」に触れたり、過度に介入したりする行為については野放しではいけません。ましてや強者が弱者から搾取するようなことも許されません。LLMの基盤であるTransformerの本質は、予測可能でもっともらしい言葉を返す機械以外の何物でもありません。「自分のことを理解してくれる、受け止めてくれる」と人間が感じるのは、そういう回答が一番良いと設定され、学習しているからに過ぎません。人間がAIを道具として使いこなすためには、その事実を冷静に理解しておく必要があります。その点において、理解力や判断力が不十分な子供たちに対しては、使用であれ制限であれ、何らかのサポートがあるべきだと思います。

ただし、子どもは案外、学習するものです。むしろ大人でも容易に“騙されて”しまう人は少なくないので、AIの基本的な仕組みや特性をしっかり周知して社会全体で理解を深めることが、AI社会を健全に発展させるための必要条件だと思います。AIをどう使うにせよ、人を大事にする社会であって欲しいです。

AIへの尊厳はそれを大事にする人間の尊厳の問題

菊池 AIの人格化どころか、そのうち神格化する人も出てくるかもしれません。大丈夫でしょうか。

大澤 そのように感じる人が出てくるのは、誰にも止められないし、止めるべきでもないと思います。本を読んで登場人物に妄想を抱く人もいる、アニメのキャラクターに恋する人もいる。AIを信じることも、AIに恋することも、個人の自由であって他人が強制的に制限することはできません。ただしその過程で、利用者が誰かから搾取されたり、個人の価値観が否定されたり、人間としての尊厳が傷つけられたりすることを、社会として看過してはいけないと思います。

EU(欧州連合)のAI規制では「尊厳(dignity)」の保護を強く訴えているのに対して、中国は「調和(harmony)」を重視していると対比されます。中国共産党が推進する「社会主義核心価値観」と呼ばれるスローガンには「和諧(調和)」という文字が入っています。どちらも重要な価値観ですが、少なくとも私は、自分が住む社会が、個人よりも国家の都合が優先される社会であって欲しくはないです。日本で「AI利用は和の心で」などという発言がもし出てきたら、警戒したいですね。日本はアジアにおける自由民主主義の先駆者であり、特に戦後は、内心の自由や表現の自由が、完全ではないにしても、ある意味では欧米以上に保護されてきた国です。日本的発想の全てが良いとは思いませんが、でも、どんな時でも何らかの形でオルタナティブ(別の選択肢)が確保され守られているところが、SFをはじめとして、世界に冠たる素晴らしい文化の土壌になっています。そうした環境はなんとしても維持していきたいものです。

だからと言って、国家や政治が変に手垢をつけたりすると、せっかく培ってきた大切なものが壊れてしまうかもしれません。排外主義的な傾向も危険です。日本に来れば、日本人だろうと外国人だろうと誰でも才能のある人々が自由に新しい価値の創出ができる、新しいこと、今までにはなかったことに挑戦できる――。そういうブランド力が日本の強みであり、今後もそういう空間を提供することが、世界における日本の役割になると私は思っています。経済的価値や国際競争力の尺度で考えることも必要ですが、「日本を失うことは世界の未来にとって大きな損失になる」と世界の人たちに認識してもらい、AI時代に人間の生きる目的を提供し続けることが、国際社会で役割を得るカギになるのではないでしょうか。

菊池 人間の尊厳がもちろん第一ですが、一方でAIのような人工物の尊厳についての議論もありますね。

大澤 おっしゃる通り、心理学、哲学、宗教、そして倫理にも関わるとても大きな問題です。

例えば『AIを生んだ100のSF』(大澤博隆監修・編、2024年、ハヤカワ文庫刊)では、東京電機大学工学部人文・社会系 助教の西條玲奈さんが「AIのジェンダー化」という寄稿コラムで問題提起されています。SF作品に登場する未来の人工物はしばしばジェンダーを持つものとして描かれてきましたが、生物ではなく有性生殖も行わないAIに「ジェンダーがある」とは言えない。しかし、現実には、AIを含めた様々な人工物には作り手や使い手のジェンダー観が埋め込まれ、性差別が反復・増幅されかねない状況にあると警鐘を鳴らしています。

繰り返しになりますが、ペットロボットにしても、“飼い主”にとっては唯一無二の家族の一員ですが、他人からすればトイショップに並んでいるおもちゃの一つに過ぎません。だからと言って、他人が叩いたり蹴ったり乱暴に扱えば、飼い主が相手を殴り返すかもしれません。誰にもモノに対する愛着はあり、人工物の尊厳はまず、それを大事にする人間の心に対する尊厳の問題という側面があります。それは、HAI研究で人間とAIの関係性を考えたり人工物を擬人化したりする場合に必ずぶつかる問いだと思います。

菊池 人間はAIとどう向き合うべきかという研究が、SFやHAIを含めて様々な手法によって深められているのですね。根本的には「人間がどう感じるか」にあるという大澤先生のご意見にも納得です。今後の研究成果に大いに期待しています。貴重なお話をありがとうございました。

インタビュー実施:2026年7月13日

Interviewee

大澤 博隆 / Hirotaka Osawa

慶應義塾大学理工学部 教授/慶應SFセンター センター長

2009年慶應義塾大学大学院理工学研究科開放環境科学専攻博士課程修了。2022年より、慶應義塾大学理工学部准教授/筑波大学システム情報系客員准教授、2026年より、慶應義塾大学理工学部教授、HAI研主宰者、慶應SFセンター所長。ヒューマンエージェントインタラクション、人工知能の研究に幅広く従事。共著として「人狼知能:だます・見破る・説得する人工知能」「人とロボットの〈間〉をデザインする」「AIと人類は共存できるか」「信頼を考える リヴァイアサンから人工知能まで」「SFプロトタイピング: SFからイノベーションを生み出す新戦略」「AIを生んだ100のSF」など。監修として「アイとアイザワ」「SF思考 ビジネスと自分の未来を考えるスキル」「鏡の国の生き物をつくる: SFで踏み出す鏡像生命学の世界」など。人工知能学会、情報処理学会、日本認知科学会、ACM等会員、慶應義塾大学サイエンスフィクション研究開発・実装センター センター長。博士(工学)。