第3章 データ駆動社会と競争政策デジタル技術の社会実装で迫られる競争政策の変化

Guest Speaker

林 秀弥(はやし・しゅうや)
名古屋大学 大学院法学研究科 教授

 2002年京都大学大学院法学研究科単位取得認定退学。京都大学博士(法学)。総務省・電波監理審議会委員・情報通信学審議会専門委員等を務める。専門分野は、競争法、情報法、公益事業法。主要著作として、『企業結合規制』(商事法務、2011)、『オーラルヒストリー電気通信事業法』(共著、勁草書房、2015)、『独占禁止法審判決の経済学』(共編著、東京大学出版会、2017)、『Digitalization and Competition Policy in Japan』(共著、Springer Pub., 2024)など。

■ この章の問題意識 ■

 データという無形資産が社会経済活動の中核となるデジタルエコノミーの到来を受け、欧州ではプラットフォーマーの市場支配力の濫用を防止するための制度的枠組みの整備、また米国でも競争当局がプラットフォーマーを提訴するなどの動きが見られる。デジタルエコノミーにおいては、データという無形資産のもつ特性(非競合性、限界費用ゼロ、ネットワーク効果)が今後の市場競争に大きな影響を与えることになるが、デジタルエコノミーの領域が広がっていくと、従来の財・サービスの特性を基本として考えられてきた競争政策は大きな転換を迫られ、デジタル競争政策とでも呼ぶべき新しい枠組みを構築していくことが必要になっている。本章では、デジタルエコノミーを前提とする今後の競争政策の有効性やあるべき方向性について展望する。

聞き手=谷脇 康彦 デジタル政策フォーラム 代表幹事

競争法の見直しがデジタル化のスピードに追いつかない

谷脇 社会経済のデジタル化が進み、伝統的な市場の境界が曖昧になるとともに、モノ中心主義(Goods Dominant Logic)からサービス中心主義(Service Dominant Logic)への転換、プラットフォーマーによるエンドユーザー向け無料サービスの提供、サブスクリプションサービスの普及など、デジタルエコノミーの領域拡大や市場環境の変化が急激過ぎて、「競争政策」のデジタルシフトが後手に回っているのではないかという指摘があります。「競争法」の分野でデジタルエコノミーの進展について、どのような議論がされてきたのでしょうか。

林 秀弥 名古屋大学 大学院法学研究科 教授

 例えば、「アテンションの寡占形成問題」があります。
 デジタル空間では、絶え間なくビッグデータが収集され、デジタル・プラットフォームには膨大なデータが蓄積され続けています。データがマーケティングやサービスの改善に活用されることでユーザーの利便性が高まるというプラスの側面がある一方で、プラットフォーム事業者とユーザーの間の情報非対称性がいびつなほど顕著になり、それが巨大プラットフォーム事業者による寡占的市場構造をますます強固なものにするというマイナスの側面もあります。そうした寡占構造を土台にして、情報そのものよりも人々の関心や注目を獲得することに価値を置く「アテンション・エコノミー」が形成され、ますます「アテンション」の先鋭化が進む。過剰かつ偏向した情報空間においてユーザーの情報選択力は脆弱化され、フェイクニュース、エコーチェンバー、フィルターバブルによって社会の分断が加速しています。
 しかし、デジタル・プラットフォームにおけるアテンションの寡占形成が消費者や社会に悪影響を及ぼしているにも関わらず、従来型の競争法では効果的に規制したり取り締まったりすることができないのです。これは人類社会の根底を揺るがしかねない重大な問題です。
 私を含めた競争法を専門とする学者や各国の競争当局が、なぜ現行法では対処できないのか、その原因究明に懸命に取り組んでいます。最近では、3つの原因があるのではないかと言われています。
 第一に、競争法の解釈・運用に誤りがあったのではないか。
 第二に、競争法の目的がズレてきているのではないか。
 第三に、デジタル化の進展は現行法では十分に対処できないのではないか。
 三つ目の観点の動きとしては、2024年3月から全面適用となったEU(欧州連合)の「デジタル市場法(Digital Markets Act, DMA)」[1]があります。巨大プラットフォーム事業者による市場支配力の濫用を防ぎ、EUデジタル市場における競争の健全化を目指すものです。
 二つ目の観点で熱心に議論しているのが、巨大企業の存在それ自体を民主主義への危機と捉えて排除すべきとする「新ブランダイス学派」と呼ばれる勢力です[2]。バイデン政権に参画したTim Wu大統領特別補佐官、Jonathan Kanter司法次官補(反トラスト局長)、Lina Khan連邦取引委員会(Federal Trade Commission、FTC)委員長の3人は、メディアでは“GAFA解体論者”とも呼ばれるほどの新ブランダイス学派急先鋒の論客陣です[3]。約1世紀前、ウッドロウ・ウィルソン政権下の最高裁判所陪席判事として活躍したLouis Brandeisは、巨大企業による独占の弊害、そして独占規制の合憲性を主張し、『The Curse of Bigness』(大企業の呪い)という書籍を著しました。これと同名の本を最近Wu氏が書いています。時を経て、巨大デジタル・プラットフォームによる独占との闘いに焦点を変えて、現代のバイデン政権、そしてEUにおいて気運が高まっているのです。
 アカデミアでも、競争法の現代的なあり方を巡って、原理的なところまで掘り下げて議論が重ねられています。これまで競争法の執行に際しては消費者厚生、コンシューマー・ウェルフェアを基準に考えてきたのですが、そもそも消費者厚生という概念が非常に曖昧であり、厚生価値の重点をミクロ経済学的な「価格」に置き続けていることが、デジタル時代の競争法が機能不全に陥りかけている原因ではないかという強い問題意識があるのです。
 そうした市場と競争法のズレを解消するための提案としては、例えば米シカゴ大学のスティグラー・センターが2019年9月に出した報告書「Stigler Committee on Digital Platforms」[4]があります。そこで提案されていることは、「コンシューマー・ウェルフェア基準」から「シティズン・ウェルフェア基準」への転換です。すなわち、価格が上がった、下がったというミクロ経済学的な観点だけに立脚するのではなく、社会や民主主義にどのような影響を与えるのかという俯瞰的な観点から「消費者厚生」をとらえ直し、デジタル時代の競争政策と競争法を再構築すべきだというのです。
 私が理事を務める日本経済法学会[5]でも、喫緊の課題と認識し、正面から向き合っています。2024年の年次大会のシンポジウム・テーマは「デジタル経済と新たな規制の展開(仮題)」を予定しています。

市場を信じられるか、否か

谷脇 デジタル競争政策を考える上で、市場メカニズムをどこまで信頼するのかが分かれ目になるように感じました。新自由主義の考え方をとるなら競争法はあくまでセーフガードとして事後介入に徹する「事後規制」になりますし、修正資本主義の考え方をとるなら市場への事前介入、「事前規制」も辞さないということになり、市場への信認度によって競争政策の方向性が大きく変わってくるのではないでしょうか。

 はい、アメリカでは過去1世紀にわたり揺れ動いてきた歴史があります。
 1978年にPhillip Areedaと Donald F. Turnerが書いた『Antitrust Law』[6]という有名な注釈書があります。その中に、アメリカの競争法である反トラスト法の主要な目的は、企業が競争的に行動するよう促すことにより、生産性向上やイノベーションによって経済性を高め、消費者の厚生を最大化することであると記述されています。これが、1890年のシャーマン法、1914年のクレイトン法および連邦取引委員会法の制定から現在に至るまでの反トラスト政策の標準的見解と言えます。
こ れに対し、リベラルの立場からアンチテーゼが投げかけられてきました。すなわち、消費者厚生には、経済的厚生だけではなく、「富の偏在・格差の是正」「社会的・政治的権力の限定」といった社会・公共的な目的も含めて多元的にとらえるべきだという立場です。ややポピュリスト的な色彩を帯びながらも、少数有力説として底堅い支持を集めました。また、それとは逆の動きもあります。『Antitrust Law』と同じ1978年には、Robert Borkが「The Antitrust Paradox(反トラストのパラドックス)」[7]という著書を発表します。それによると、消費者厚生とは市場全体の経済的非効率性を問題にする立場です。Borkはそれを基準に反トラスト政策を組み換えるべきだと主張したのです。Borkは新自由主義の総本山であるシカゴ学派の中心人物であったため、その後、学会にも一定の影響力をもちました。
 一方で、今述べた多元的目的を一部で取り込みつつも、消費者厚生を保護するために反トラストを執行するには、消費者の利益がどのように害されたのか、企業の市場支配力がどのように形成・維持・強化されたのかを問題とする市場支配力基準が通説となり、緻密な経済分析を元に、反競争効果の発生機序、つまりセオリーオブハーム(theory of harm)を厳格に求める立場が生まれ、それが主流となってきております。
 しかし、この数年、そのtheory of harmの立証に手間取っているうちに結果として法の執行が遅れ、結局、巨大IT企業を野放図にするだけなのではないかという規制強化論が高まってきました。市場での自由競争を重視した「事後規制」は、結局、膨大な時間と費用のかかる訴訟頼みとなり、かつモグラ叩き的な対応に終始することにもなりかねません。それが、デジタル・プラットフォ-ム事業者の巨大化と専横を許したという反省が、底流にあります。

事前規制の欧州、事後規制の米国、共同規制の日本

谷脇 その点、EUの方針は明確ですね。デジタル市場法は、「事前規制」に重点を置き、違反に対しては厳しい制裁を課すことを軸としています。日本では、2021年2月に「特定デジタル・プラットフォームの透明性及び公正性の向上に関する法律」(透明化法)[8]が施行されましたが、情報開示を通じて自主規制を促す「共同規制」の考え方が採用されるにとどまり、公正取引委員会における独占禁止法の適用へのリンクは貼ったものの、そこまでに止まっていました。しかし、最近、公正取引委員会がEUに倣って、分野こそ限られているものの、デジタル・プラットフォーム事業者に直接的に規制の網をかける新法[9]の検討を進めています。デジタル競争法を整備していく上で、日本はどのような点に留意すべきでしょうか。

 EUデジタル市場法の基本思想には次のような論法が編み込まれています。
 (1)デジタル・プラットフォーム事業者は単なる取引の媒介者ではなく、プラットフォームから利益を最大限享受している存在である、
 (2)そうして獲得した市場支配力を背景に、消費者や事業者が参加するマーケットそのものを設計・管理・運営する存在でもある、
 (3)一定基準以上の特定プラットフォーム事業者(ゲートキーパーと呼ぶ)の社会的・経済的な影響力は極めて大きいため、その事業活動には一定程度の責任と義務が生じる。
 これが、違反に対して巨額の課徴金納付を命じる制裁規定を正当化する論拠となっています。
 日本ではこれまで、透明化法を含め、産業界を中心にソフトローに期待する意見が根強かったように思います。ただし、ソフトローというのは厳格な強制力を伴うハードローがあってこそ機能するものなので、ソフトローだけでは規律の形骸化、弱体化を招くことになりかねません。その意味でも、包括的、横断的なデジタル競争法の立法は非常に重要であり、EUデジタル市場法の思想は参照に値すると思います。
 日本政府は、2023年6月に発表した「モバイル・エコシステムに関する競争評価 最終報告」[10]において、EUデジタル市場法の動向等を参考としつつ、一定規模以上のOSを提供する事業者に対して、他のアプリストアを実効的に利用できるようにすること等を義務付ける規律を導入すべき旨を提言しました。これは非常に重要な提言だったと思います。これに対し、パブリックコメント等において、以下のような観点から懸念の声が挙がりました。「これまでプラットフォーム事業者が一元的にアプリを審査して目を光らせてきたから不正アプリの流通が大幅に制限されてきたのに、新規ストアの参入を認めれば、そのストア経由で不正アプリの流通が増加するおそれがある」とか「安心安全な端末を購入するというユーザーの“選択の自由”を、法律が奪わないでほしい」といったものです。
 確かにEUデジタル市場法は、ウェブサイトからアプリを直接提供することをも可能にする規律となっているのに加え、OS事業者は、「端末とOSの毀損の防止(Integrity)」および「エンドユーザーがセキュリティを効果的に保護することができるようにすること」の範囲内でしか、横断的ユーザー保護措置を講じることができない制度になっています。そこでEUデジタル市場法の思想は参照しつつも、それを直輸入するのではなくて、セキュリティについては、OS・ハードウェアの毀損の防止を含め、広くセキュリティを規定し、また、プライバシーについても、法令遵守やガイドラインレベルに限定されず、広くプライバシーを規定し、かつ海賊版対策など、セキュリティ、プライバシー、青少年保護のいずれにも該当しないと考えられるものについても、横断的ユーザー保護措置に組み込むような法制度ができれば、競争性と安心・安全のバランスは図れると考えられます。
 そういうかたちで、事後規制が主体の独占禁止法を補完する、事前規制が主体となる新たな法制ができることを期待しています。

谷脇 私自身、長く関わってきた電気通信事業法では「事前規制」として市場支配力を有する事業者にドミナント規制をかけ、他方、競争法としての独占禁止法が「事後規制」としての役割を担うというのが基本的な考え方でした。ところが、EUのデジタル市場法は、競争法の枠組みの中に事前規制と事後規制の両方を組み込んでいます。巨大なデジタル・プラットフォーマーが市場を席捲してしまうデジタルエコノミーにおいては、市場支配力の濫用の蓋然性が高く、かつ市場を是正するのが著しく困難であり、事後規制では間に合わないということだと思いますが、事前規制と事後規制というもののバランスが大きく変わりつつあるように感じます。

 独禁法が事前規制的なアプローチに寄ってきている原因の一つは、2000年代のマイクロソフト訴訟の反省があるのではないかと思います。市場独占を問題視し数多くの訴訟が提起されましたが、最終的に事業分割までは行かず、排除措置にとどまり、その後も結局マイクロソフトやその後のGAFAの市場支配の状況は変わりませんでした。日本でもWordとExcelの抱き合わせ販売が禁止された程度で、ロックイン効果に基づくマイクロソフト製品の市場独占性が結局弱まることはありませんでした。これらの製品にはロックイン効果やネットワーク効果がありますから、単に「抱き合わせをやめなさい」という排除措置だけでは既に形成・強化されてしまった独占状態を突き崩すことはできないのです。
 前述したように、独占禁止法による事後規制は結局“モグラ叩き”の繰り返しになってしまい、市場機能を適正化するための効果的な手段にはならないというもどかしさが規制当局側に積もり積もっていたことが、EUが事前規制の方向に大きく舵を切る背景にありました。その問題意識が、事業者を規制するデジタル市場法(DMA)とコンテンツを規制するデジタルサービス法(Digital Services Act, DSA)[11]に色濃く反映され、デジタル・プラットフォームの規模が大きくなればなるほど事業者に特別な責任を負わせるという事前規制の考え方が主軸となっています。両法は2024年に入り全面施行されています。
 ただし、DMA・DSAが今後も長期間にわたって効果的に機能するのかについては、やや懐疑的に見ています。もし、Web3やメタバース、ブロックチェーンなどの非集中型デジタル・プラットフォームサービスが今後の市場で大きな地位を占めることになれば、現在の巨大デジタル・プラットフォーム事業者の独占・寡占を打ち崩す可能性もないわけではなく、集中型デジタル・プラットフォーム事業者を狙い撃ちにしたDMA・DSAが、非集中型デジタル・プラットフォームサービスにも効果的である保証は無いからです。技術やサービスの革新に合わせて、あるべき法制を今後も不断に探究していく必要があると思います。

Googleの反競争的行為を探知するなら「まずググれ!」

谷脇 Web3などの分散型事業モデルは依然として事業化の模索段階にありますが、今後確実に比重が高まっていくと思います。事業者の規模を閾値とする競争法だけでは健全な競争を維持することが難しくなる可能性はないでしょうか。

 こんな風刺漫画を見たことがあります。EU規制当局者たちが集まり、Googleの反競争的行為をどうやって探知するか侃々諤々議論した結論が「まず、ググれ!」という落ちです。要するに、規制当局はデジタルサービスやAIなどの最新テックの仕組みをきちんと理解できているわけではなく、何をもって違反とするのか、どうすれば知り得るのか、ということすら手探りの状況なのです。
 日本の公正取引委員会も2020年に「デジタル市場企画調査室」を新設しました。イギリスの競争・市場庁(Competition & Markets Authority, CMA)[12]は2021年にデジタル分野の競争政策を所掌する「デジタル市場ユニット(Digital Markets Unit, DMU)」を設置しました。各国の競争監督当局のデジタル市場への対応はようやく始まったところなのです。 法学者も規制当局も、伝統的な「重厚長大産業」時代の競争法からComputational Competition Laws、すなわちデジタル時代の競争法へと関心の軸足を移していますが、研究・執行基盤の確立にはまだ時間がかかりそうです。例えば、欧州委員会(European Commission, EC)がGoogleショッピングをEU競争法に違反したとして巨額の制裁金を課したことに対し、Googleがそれを不服として提訴しました。その判決が2021年に下されましたが[13]、判決文を読んでも肝心のGoogleのアルゴリズムに関する記述は企業秘密としてほとんど黒塗りされていて、有意な情報を得ることができませんでした。またそれが仮に黒塗りでなかったとしても、核心のアルゴリズムの詳細は分からないでしょう。デジタル時代の競争法を検討・執行しようにも、デジタル競争の核心部分を外部から観察・分析することが難しいという壁に直面しているのです。
 そもそも、競争法の大前提は「市場画定」(注:競争法で競争制限効果を判断する場)[14]を行うことですが、デジタル化による市場融合を評価してどう画定するかは難問です。デジタル・プラットフォーム市場は一面的なものではなく、多面的に画定されることが多いのですが、画定された各市場間の関係を論理的にどう評価するのかは宿題として残っています。
 特に、ある市場における競争制限効果を、他の市場における競争促進効果で相殺して良いのかということも議論が必要です。例えば、楽天グループのネット通販サイト「楽天市場」における配送料無料化の事案があります。出店者側に送料無料化を強制することは優越的地位の濫用であるという見方の一方で、購入者側は商品を安く手に入れられるという便益を受けることになります。さらに、楽天市場というプラットフォームの利用者が増えることになれば、結果的に出店者の利益に還元されるという見方もできました。プラットフォームに関わる異なる市場への影響の比較評価の問題です。

米企業結合ガイドラインに登場した新論点「エコシステム間競争」

谷脇 デジタル市場の画定を考える上では、情報の価値と価格について再考してみる必要があるように思います。デジタル・プラットフォーマーのサービスは多くが無料ですが、その代わりに利用者は様々な個人情報を提供しています。ところが、プラットフォーマーにとっては0円で集めた利用者情報の集積が膨大な収益の源泉になっており、プラットフォーマーの保有する利用者情報の価値が情報提供の見返りとして提供した無料サービスの価値を大きく上回り、結果としてプラットフォーマー側に超過利潤が生じています。そう考えると、価格という市場のシグナルが有効に機能しなくなる局面が増えてきており、この点が競争法の見直しを迫る一つの要素になっているのではないでしょうか。

 そこがまさに今、盛んに議論されている論点です。従来、競争法の分野では市場を画定するために価格に基づくSSNIP(Small but Significant and Non-transitory Increase in Price)テストという手法を使います。仮想的な独占者が小幅であるが実質的(5~10%)な価格引き上げをした場合に顧客がどれだけ別の市場に移るかを調べ、同一市場の範囲を特定する手法です。しかし、これをプラットフォーム事業者に適用しようとしても、価格が0円なので値上げシミュレーションができず、従来手法では市場の画定ができない場合があるという課題がありました。
 2023年12月に米司法省(DOJ)と連邦取引委員会(FTC)が公表した企業結合ガイドライン2023年版(2023 Merger Guidelines)[15]では、価格だけでなく取引条件全般を含めて市場を画定する新手法「SSNIPT(SSNIP or other worsening of Terms)」(Tは取引条件)に拡大変更したのです。価格だけでなく、商品・サービスの質、投資、選択肢、イノベーションといった様々な要素について取引条件が悪化した場合に顧客がどう反応するかを評価することにしたのは、デジタル・プラットフォーム事業者への対応を意識したトライアルと好意的に見ることもできます。ただし、追加された項目の定義がかなり曖昧なままで、そんな曖昧なテストが実際に実行可能なのかという議論に発展しています。価格だけなら既に様々な経済学の分析手法がありますが、取引条件全般に広げたことで“パンドラの箱”を開けたような状態となってしまい、当局者も頭を抱えてしまっているような状況です。
 ただし、改定前の2010年ガイドラインが計量的手法を駆使した非常に洗練された経済学の分析道具をカタログのように列挙したために、それに引きずられた一部の下級審裁判所が、非常に高い確度での定量的な反競争効果の立証を求める傾向があり、いくつかの反トラスト訴訟は袋小路に入っていました。今回のガイドライン改定はその軌道修正を図ったものであり、定性的な証拠も重視せよとのメッセージが込められていると思います。
 そもそも、現在のプラットフォーム事業者、テレコム事業者は、個別の通信サービス、個別のサービス品目ごとに競争しているというよりは、提供する多様なサービス群を「エコシステム」「経済圏」ととらえ、その全体で勝負するようになってきています。そこでは、デジタルを軸に様々な業種が結びつき、密接に連携し合います。従来市場の枠を超えたエコシステム間の競争を評価するためには、「市場画定」に加えて「エコシステム画定」のような考え方が必要になってくるかもしれません。エコシステム間競争(ecosystem competition)については、アメリカの企業結合ガイドライン2023年版でも少し言及しているので、今後の論点になっていくと思われます。

AI規制でまたしても後手に回るのか?

谷脇 生成AIの領域では、MicrosoftがOpen AI(ChatGPT)、GoogleがBard、AmazonがTitanと、膨大な情報を市場支配力としている巨大プラットフォーマーが次々に進出しており、結局はAIの普及でプラットフォーマーの市場支配力がますます高まるのではないか、何らかのセーフガードが必要なのではないかという素朴な疑問がありますが、現状では、あまり危機感や懸念が高まっているような印象がありません。

 欧州議会は2024年3月、世界初の包括的なAI規制法案(Artificial intelligence Act)[16]を可決しました。安全の確保、人権の保護などを最優先し厳しい規制を求める勢力と、過度な規制はEU加盟国の国際競争力(特に対米)を削ぐとして反対する勢力の妥協の産物ですが、AIリスクを4段階(Unacceptable、High、Limited、Minimal)に分けて規制内容を細かく規定している点など、今後のAI規制のひな形になることは間違いありません。
 ただし、対巨大プラットフォーム事業者に特化したセーフガードというものは設けていません。果たしてそれで大丈夫なのか、またもや遅きに失して、プラットフォーム事業者による独走・独占を許すことになってしまうのではないかという懸念はあったのですが、2024年1月に欧州委員会(EC)は「仮想空間と生成AIにおける競争(competition in virtual worlds and generative AI)」に関して競争法の観点から検討を開始することをアナウンスしました。合わせて、MicrosoftによるOpen AIへの出資に関してEU企業結合ルールに則って評価する考えを示しました[17]。
 こうした問題意識はイギリスの競争・市場庁も共有していて、2023年秋には「AI基盤モデルの一次報告書」[18]を公表しました。その中で、AIが関係する反競争的行為のリスクや、それに競争法でどう対処するのかについて包括的に議論が行われています。ただ、まだ隔靴搔痒の感があり、リスクや可能性の話は書かれていますが、実際にまだ起こっていないので頭の体操をしているような印象です。
 今後、AIは、医療、交通、金融、エンターテインメントに至るまで、私たちの生活の様々な側面に浸透し、様々な影響を与えてくると思います。AIが市場競争に与える影響を的確に分析するためには、まずAIへのリテラシーを高めることが重要だと思われます。個人や企業がAIを包括的に理解し、社会やビジネスへの影響を把握することがますます重要になってきます。過去にメディアリテラシーやデジタルリテラシーが重視されたように、現在では、市場競争の観点からも、AIリテラシーを重視することが不可欠になってくると思います。 広い意味でのAIリテラシーは、個人だけでなくAIに関する政策立案者や規制当局者にとっても不可欠だと思います。

EUスタイルを真似てもうまくいかない

谷脇 欧州は、大上段からのルールメイキングで一般規律を定め、デジタル市場法(DMA)やデジタルサービス法(DSA)のような枠組みを作り、その中で個別事例への適用のあり方について疑義があれば訴訟を起こしていくという手順を踏んでいます。アメリカはその逆に、訴訟を提起して個別ケースに対する判例を積み重ねていくという手法です。アプローチがかなり違いますね。

 アメリカの場合は元々が訴訟大国なので、個別事例によって判例法理を形成するということがうまく機能し得るのでしょう。
 ヨーロッパはアメリカほど頻繁に訴訟が起きません。健全な市民社会の形成とか、個人の基本権保護といった理想論から議論に入る傾向があり、そこから包括的な制度を作ろうという伝統があります。ヨーロッパの研究者はそれを当然のことと考えているので、私のような日本の研究者はそのようなマインドセットになかなかついていけないところもあります(笑)。「それでは過剰規制になるのでは?」「デジタル分野のイノベーションが阻害されるのでは?」と、こちらが心配になるようなケースもあって、日欧で温度差を感じることは少なくありません。

谷脇 ヨーロッパのアプローチはまず理念を示し、そこからルールに落とし込んでいく点がきれいで「見せ方が上手い」のですが、他方、「そういう風に言い切れるのか」「運用面が相当大変ではないか」と霞が関にいた者としては、つい思ってしまいます。

 ヨーロッパのスタイルを日本にそのまま持ってきてもうまく機能しないと思います。
 日本の場合、「確約手続」[19]という制度が2018年に施行され、反競争的行為の事案が特定された場合、当事者が改善策・対応策を提示しそれが認められれば排除措置命令を下さないという一種の和解的なかたちで決着が図られるようになりました。独占禁止法違反の認定は省略されます。ですから、公正取引委員会が正式な行政処分を下すケースが激減しているのです。日本の確約手続モデルは一種の共同規制的なアプローチと言ってもいいかもしれません。
 ただし、反競争的行為の当事者が書いてきた改善措置案にオーケーを出すだけでは、競争法のスキーム全体が弱体化する懸念があります。アメリカのように言うべきことは言う、必要なら毅然と訴訟に打って出るというアプローチもないと、企業側の主張に流されてしまう可能性があります。「このままで良いのか?」と感じている競争法学者は多いと思います。

谷脇 日米欧のデジタル競争政策のアプローチがそれぞれ異なるとすれば、国境のないサイバー空間においてどのように国際的整合性をとるかが課題になると思います。競争当局のグローバル連携や新たな国際組織の設立を考える必要はないでしょうか。

 国際的な連携はどんどん進めるべきです。競争法の分野はわりと国際連携が密な領域です。議論の場としてOECD(経済協力開発機構)はよく知られていますが、それ以外に、例えばICN(International Competition Network、国際競争ネットワーク)[20]という組織があり、年次総会には各国の競争当局が知見を持ち寄り、様々なワークショップを開催して意見交換を重ねています。AIやデジタル・プラットフォームに関する規制の足並み調整は、OECDやICNの場で議論されていくでしょう。
 ただし、各国規制当局の担当者の緩やかな意見交換の場、あるいは勉強会的な性格も強いので、もう少し実務連携に近いレベルの機能が必要なのかもしれません。もうずいぶん前のことですが、競争法研究で有名な故・正田彬(しょうだ・あきら)先生は「世界競争機関を創設すべきだ」とおっしゃっていました。AIやデジタル分野にはそういった組織も必要になってくるのかなと思います。

「もしトラ」で新ブランダイス学派は一掃か?

谷脇 2024年は、4~5月にかけてインド総選挙、6月に欧州議会選挙、11月にアメリカ大統領選挙と続き、世界でおよそ30億人が投票する選挙イヤーと言われています。政治的な動向が競争法の行方に影響を与える可能性はありますか。

 いわゆる「もしトラ」リスクは大きいと思います。もしトランプ氏が米大統領の座に返り咲いたら、米司法省(DOJ)と連邦取引委員会(FTC)の幹部は総入れ替えとなり、現在の新ブランダイス学派による法執行は全否定されるでしょう。企業結合ガイドライン2023版も破棄されてしまうのではないか、バイデン大統領の反トラスト政策はことごとく潰されるのではないか、と言う学者もいます。雇用の保護、労働者の保護といったポピュリスト的な観点から競争政策を少し保護主義的な方向へ巻き戻す動きは出てくるかもしれません。
 政治的に重要なことは、広く浅く拡散する消費者利益への十分な配慮です。消費者へのリスクや被害は広く浅く広がります。カルテルで価格が100円上がっても個々の消費者はどうすることもできず受け身にならざるを得ないのですが、それを看過していてはいけません。特にデジタル時代においては、放置していればイノベーションの利益を享受できる人と享受できない人の格差がますます広がってしまう可能性があります。そうした意味でも、政府が2021年に策定した「構造改革のためのデジタル原則」[21]に示された官民連携を原則とした取り組みはますます重要になると思います。
 伝統的な法律の世界も変わらなければなりません。いまだに公法と私法を峻別する公私二分論が一部でまかり通っています。個人的法益は民事手続きで救済し、公的利益は監督官庁による法執行や行政訴訟で対応するといったように明確に線引きされてきました。ところが、経済法・消費者法のみならず、経済安全保障やセキュリティなどの分野では私的利益と公的利益がオーバーラップしているようなケースがいろいろと出てきていて、古典的な公私二分論では解決策を見出せなくなっているのです。業種・業態を問わずデジタル分野で横断的に適用される取引についてのルールを整備する立法的措置が必要になってきているように感じます。デジタル原則が示唆しているように既存領域の壁を超える取り組みが、我々法学者にも求められているのだと認識しています。

谷脇 大変勉強になりました。お話ありがとうございました。

◇       ◇       ◇

【対談を終えて】
 今回の対談で理解できたことは、デジタルエコノミーが進展する中、競争法の対応がやや遅れ気味であることは事実であるものの、専門家の間では様々なチャレンジが行われているということだった。問われているのは根本的な問い。つまり、市場をどこまで信頼するのか、市場で形成される価格だけを元にウェルフェアを考えてよいのか、そもそも誰のウェルフェアを最大化することが政策目的なのか。従来は所与のものとされてきた前提がデジタル化によって大きく崩れ、新たな競争の規律を生み出すための試行錯誤が続いている。当然、市場に対する考え方は国ごとに異なるものの、同時にデジタル化によって国境を自由に超えるデジタル市場が形成される以上、国際的な政策協調や相互理解の試みも欠かせない。デジタル政策を考える上で従来の領域を超えたクロスオーバーな議論が必要だということが競争政策の分野でも言える、ということを改めて認識することができた。(谷脇)

 

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<参考情報>

[1] Digital Markets Act
https://digital-markets-act.ec.europa.eu/about-dma_en

[2] 『競争政策の経済学 人口減少・デジタル化・産業政策』、2021年4月、大橋弘 著、日本経済新聞出版

[3]  「40年の実験は失敗した」 論客3人、米巨大企業と対峙 米企業・反トラスト法攻防㊥、2021年11月、日本経済新聞
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGN156630V11C21A0000000/

[4] Stigler Committee on Digital Platforms: Final Report, Stigler Center
https://www.chicagobooth.edu/research/stigler/news-and-media/committee-on-digital-platforms-final-report

[5] 

[6] Antitrust Law: an analysis of antitrust principles and their application (1978), Phillip Areeda, Donald F. Turner, Aspen Pub.

[7] The Antitrust Paradox (1978), Robert H. Bork, Basic Books

[8] 特定デジタル・プラットフォームの透明性及び公正性の向上に関する法律
https://elaws.e-gov.go.jp/document?lawid=502AC0000000038

[9] 巨大IT規制法案、違反企業に課徴金 公取委が概要提示、日本経済新聞、2024年2月
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUA295GD0Z20C24A2000000/
 公正取引委員会、「スマートフォンにおいて利用される特定ソフトウェアに係る競争の促進に関する法律案」の閣議決定について、2024年4月
https://www.jftc.go.jp/houdou/pressrelease/2024/apr/240426_digitaloffice.html

[10] モバイル・エコシステムに関する競争評価 最終報告とりまとめ(2023年6月)
https://public-comment.e-gov.go.jp/servlet/Public?CLASSNAME=PCMMSTDETAIL&id=060230619&Mode=0
 同最終報告のパブリックコメント結果公表(2023年10月)
https://www.kantei.go.jp/jp/singi/digitalmarket/kyosokaigi_wg/dai52/index.html

[11] Digital Services Act
https://commission.europa.eu/strategy-and-policy/priorities-2019-2024/europe-fit-digital-age/digital-services-act_en

[12] Competition and Markets Authority
https://www.gov.uk/government/organisations/competition-and-markets-authority

[13] 欧州一般裁判所は、グーグルに対して24億2000万ユーロの制裁金を賦課した欧州委員会の決定を支持
https://www.jftc.go.jp/kokusai/kaigaiugoki/eu/2022eu/202201eu.html

[14] 市場画定の基本原理:「競争的牽制力」の「視覚化」、林 秀弥、2007年
https://www.jftc.go.jp/cprc/discussionpapers/h18/index_files/CPDP-26-J.pdf

[15] 2023 Merger Guidelines
https://www.justice.gov/opa/pr/justice-department-and-federal-trade-commission-release-2023-merger-guidelines

[16] Artificial Intelligence Act: MEPs adopt landmark law
https://www.europarl.europa.eu/news/en/press-room/20240308IPR19015/artificial-intelligence-act-meps-adopt-landmark-law

[17] Commission launches calls for contributions on competition in virtual worlds and generative AI
https://ec.europa.eu/commission/presscorner/detail/en/ip_24_85

[18] AI Foundation Models: Initial report
https://www.gov.uk/government/publications/ai-foundation-models-initial-report

[19] 公正取引委員会 確約手続
https://www.jftc.go.jp/dk/seido/kakuyaku.html

[20] International Competition Network
https://www.internationalcompetitionnetwork.org/

[21] 構造改革のためのデジタル原則の全体像
https://www.digital.go.jp/assets/contents/node/basic_page/field_ref_resources/cf420f7c-43ba-4254-859b-63beabaf30fd/b70666c6/20230314_meeting_administrative-research_outline_01.pdf