コラム

#17 デジタル国家における3つの変革軸
谷脇康彦(デジタル政策フォーラム顧問)

2022年8月12日

 蒸気機関の発明に端を発する産業革命(18世紀半ばから19世紀)以降、各国経済は物の大量生産・大量消費を前提として規模の拡大を通じた経済成長の実現を目指してきた。各国の社会経済システムは、その後のソフト化・サービス化・グローバル化の流れの中で制度的な変革を求められたものの、伝統的な経済(=旧経済)の仕組みは基本的に維持されてきた。それは経営資源の集中による効率化の実現、市場メカニズムによる需給調整メカニズムを通じた資源配分の最適化、さらに国家間の自由貿易体制の維持による国際経済の活性化(比較優位に基づく国家間の役割分担)などであった。

 しかし、インターネットが社会基盤インフラとなり、データの収集・蓄積・解析・利用が重要な役割を果たす「データ駆動社会」(=新経済)が到来しようとしている。

 新経済の特徴は何か—–。例えば、データの複製は追加的なコストをかけることなく実現可能な「限界費用ゼロ」という特性を持つ。これは旧経済での一般財の生産における限界費用逓減の考え方を覆すとともに、無尽蔵に複製可能ということは財の希少性の概念から外れる。また、従来の財は消費されるほどに価値が減耗するが、データは何人で共有しても各人が得られる価値が減じられない「非競合財」という特徴を持つ。さらにデータの収集・蓄積においては強いネットワーク効果(network effect)によるスケーラビリティが働き、データの収集・蓄積を行う主体の経済価値を高め、かつデータの蓄積・結合から新たな価値が生まれるといった特徴を持つ。加えて、データは国境を超えて自由に往来し、市場の領域を国単位でみることが困難になりつつある。何よりデータとして捉えられる無形資産(intangible asset)の量、粒度、流通速度が飛躍的に高まり、個人情報の再識別化などプライバシー保護に代表される新しい問題も次々に発生している。

 こうした物・サービス中心の旧経済からデータ中心の新経済への移行が進む中、現行制度の間隙を突く形で、少数のデータ保有者による支配(管理)体制が成立することとなった。

 具体的には、中国やロシアにおいては、国の統治機構として個人データを収集し、これらのデータ収集・蓄積・解析・利用に基づいて国民の行動誘導などをもたらす体制を整えた。個人の自由が制約を受ける、デジタル技術を使った国民管理の仕組みは「権威国家主義」と言われる[1]。他方、民主主義を標榜する旧西側諸国では政府がこうした国民管理はしないものの、GAFAのような少数のプラットフォーマーが個人データを収集・蓄積しており、少数の者によるデータ独占という点においては「権威国家主義」の国と外形的に類似しているが、こちらはプラットフォーマーという民間企業がデータを独占する「監視資本主義」と呼ばれる。

 このように、データという富の集中は国家体制の違いこそあれ、「権威国家主義」や「監視資本主義」を生み出すことになった。こうした状況は、データというこれまでと異なる特性を持つ財(無形資産)が社会経済活動の中核を占めるに至っているにもかかわらず社会経済システム(制度)の変革が進んでいないという、市場の実態と制度のミスマッチが原因となって生じている。その結果として、旧西側諸国においては少数のプラットフォーマーに富が集中する寡占的市場構造となり、その富が十分に市場に還流せずに過剰貯蓄(内部留保の蓄積)や過小投資を招き、その代替として、労働分配率が低下し、結果として一国の中での不平等性が増すことになっている。

 こうした状況下で労働分配率のさらなる低下(所得格差の拡大)に歯止めをかけるには、プラットフォーマーによる過度な市場支配力に歯止めをかけ資本分配率の上昇を防ぐとともに、新たなビジネス機会を創出するための研究開発や新規投資の促進、デジタル環境に適した労働者のスキル向上など能動的な労働分配率の上昇促進策が求められる。

 デジタル国家にふさわしい制度を整備し、平等で自由な社会を維持していくこと、つまりデジタル時代の国家像を明確にするために何を変えないといけないのか。その3つの変革軸を明らかにしたい。

 まず第一の変革軸として、上述のプラットフォーマーによる市場支配力の濫用に歯止めをかけることができる新たな仕組みが求められる。英米の「監視資本主義」から脱却するためには競争の仕組みを見直す必要がある。

 従来の競争法は特定の市場において市場支配力の濫用が認められた場合、その弊害を除去するための排除命令など、事後的な市場回復が目的であった。しかし、データ独占のような形での市場支配力の蓄積・濫用は市場回復のための手段が見出し難く、また短期で甚大な影響が出るという点を考えると、競争当局にとって手詰まり感があった。

 欧州のDMA(デジタル市場法)はこの問題に対して一定の要件を満たすプラットフォーマーについてはゲートキーパーとして市場監視の対象とし、行動規制を適用することで市場支配力の濫用を事前規制的に抑止することを狙っている。欧州はそれ以外にもコンテンツ流通の適正化を図るDSA(デジタルサービス法)や個人情報保護を目的とするGDPR(個人情報保護規則)が整備されている他、分散連携型の認証基盤などの制度的枠組みを確立したeIDAS規則に加え、IoTデータの適正流通を狙いとするデータ法の検討も進められている。これらの制度枠組みは、まさにデータ駆動社会においてデータという財の特性を踏まえた新しいアプローチであり、英米や中露とは異なる、いわば「第三の道」を選択しようとしているように見える。翻って日本は欧州と同じ「第三の道」を選ぶのか、それとも日本独自の「第四の道」を考えるのか。新経済に適合したデジタル時代の新しい国家像や制度的な枠組み作りが求められている。

 第二の変革軸として、サイバー空間における民主的な国際ルールの検討が求められる。サイバー空間は国境を越えて存在するが、他方、各国の国家主権もまた尊重されなければならない。リアル社会における国家の遵守すべき国際ルールは国際法として累次整備されてきたが、サイバー空間に国際法をどのように適用すべきかについては必ずしも国際的なコンセンサスが醸成されていない。この問題はサイバー攻撃が行われた場合の国家主権のあり方と密接に関連している。旧西側諸国はリアル空間とサイバー空間に違いはなく、リアル空間における国際法はサイバー空間においても同様に適用されると主張する。これに対し、中国やロシアはサイバー空間が米国主導のルールに基づいているとしつつ、国家主権、平和的紛争解決、内政不干渉などのルールはサイバー空間に適用されるべきだとしつつも、自衛権の行使や国際人道法の適用については従来ルールの適用は望ましくないとして、両陣営の深刻な対立軸を残している[2]。

 この問題は、2022年2月のロシアによるウクライナ侵攻によって、改めて具体的な検討すべき課題として提起されている。

 今回のウクライナ侵攻では2つの特徴がある。一つは「グレーゾーン事態」。武力行使が行われる前の段階で、自国の主張・要求を強要しようとする試みであり、武力行使の前段階でのサイバー攻撃など、平常時と非常時の境目が曖昧である状況を指す。もう一つの特徴は「ハイブリッド戦争」。軍事と非軍事の境目を意図的に曖昧する現状変更の手法であり、武力攻撃とサイバー攻撃を組み合わせたり、フェイクニュースの流布などデータの真正性(integrity)に対する信頼を喪失させることで混乱を生じさせようという試みなどがこれに含まれる。

 こうした「グレーゾーン事態」や「ハイブリッド戦争」は戦闘員と非戦闘員が混在している中で攻撃が行われるなど、従来とは大きく異なる事態を生み出している[3]。国際人道法に定める「軍事目標主義」、すなわち武力の行使は相手の軍事力を破壊する目的にのみ行使可能とする考え方をストレートに適用することが難しい。また、「害敵手段の制限」、つまり武力行使の際に使うことが許容される武力の範囲の明確化の観点からも、どこまでのサイバー攻撃であれば許容されるのかコンセンサスはない。

 こうした課題はインターネットという民間主体で構築・運営されているインフラに国家権力がどこまで介入することが許容されるのかという問題でもあり、インターネットの運営のあり方を巡る、いわゆるインターネットガバナンスの議論の根幹をなす。2023年には日本でIGF(Internet Governance Forum)が開催されることもあり、日本としてこうした議論をリードオフしていく強い意思が求められる。

 第三の変革軸として、Web3と呼ばれる分散型エコノミーの構築に期待が集まる。過去、web1.0の世界ではサービス提供者がネット利用者に対してホームページなどを介して情報を伝えることを可能とした。続くweb2.0ではネット利用者がサービス提供者のウェブコミュニティに投稿したりすることで双方向のコミュニケーションが大いに普及した。しかし、web2.0がビジネスとして成長していくと、サービス提供者とネット利用者の間に介在するプラットフォーマが登場し、プラットフォームレイヤーにおける市場支配力を他のレイヤーにも行使することで垂直統合的なビジネスモデルを構築し、利用者データのロックインが進む「監視資本主義」の世界が生まれた。

 Web3では、ブロックチェーン技術を軸としながらに共通の目的を持つ人々が緩やかにオープンな形でつながり、目的達成をした場合の利益をトークンで参加者に分配する組織形態であるDAO(Decentralized Autonomous Organization)が注目されている。その他、複製自由のデジタル財に希少性を持たせるNFT(Non Fungible Token)の仕組みやDeFi(Decentralized Finance)などの試みも登場してきている。こうした仕組みが一気に社会に普及するかというと現時点では手探り状態であり、まだまだ時間がかかる[4]。しかし、こうした分散型エコノミーが一定の存在感を保つことで少数の特定者にデータが集中することを牽制し、場合によってはデータの分散的な生成・保有・蓄積・活用の方向に動くことも考えられる。

 そもそも情報処理技術の世界では集中と分散を繰り返してきた。コンピューター資源の例でいえば、メインフレームを中心とする集中の時代、その後のパーソナルコンピューターの普及による分散の時代、さらにクラウドサービスの普及を通じた再集中化の動き、それと同時にローカルにデータ処理を迅速に行うエッジコンピューティングという分散化の動き。現在は集中化と分散化のバランスをとった最適解がどこにあるかを模索している状況にあると言えるだろう。

 Web3の進展した世界においてもプラットフォーマーがデータ活用の主導権を握る可能性もあるが、第一の変革軸である競争法の見直しが進めば、少なくともその可能性が減じられるだろう。そしてこうしたアプローチが国際的な新しいルール(第二の変革軸)を伴えば政策の実効性が確保される可能性がある。そしてWeb3のような分散型の事業モデルが多数登場することで、デジタル市場における集中と分散の適度なバランスが生まれる可能性があると言えるだろう。

 デジタル時代の国家像はさまざまな視点から語られる。しかし一つ言えるのは、デジタル技術のあり方やデジタル技術が社会経済に与える影響はデジタル技術に直接関連するコミュニティに閉じていてはいけない、国家の姿すら決める重要な議題だということだ。だからこそ、デジタル国家像のあり方、そしてそれを実現する変革軸は何なのかという議論を広く産学官の連携のもとで今後進めていく必要がある。


[1] 監視国家主義の拡大については、例えば、谷脇康彦「インターネットの自由2021」(2022年1月29日) を参照されたい。(https://yasutaniwakicolumn.hateblo.jp/entry/2022/01/31/091127

[2] 現時点でサイバー空間に適用される国際ルールに関する最小限のコンセンサスは右文書にとどまっており、国際的かつ包括的な合意は得られていない。UN General Assembly, Group of Government Experts on Development in the Field of Information and Telecommunications in the Context of International Security (June 2015)

[3] ハイブリッド戦争下における個人のプライバシー保護等の問題については、例えば、Russell Buchan and Asaf Lubin (Eds.), “The Rights to Privacy and Data Protection in Times of Armed Conflict,” 2022, NATO CCDCOE(Cooperative Cyber Defence Centre of Excellence)を参照されたい。

[4] 例えばweb2.0をいち早く提唱したTim O’Reillyは以下のように述べている。「テック産業はこれまで分散化と再中央集権化を繰り返してきた。(中略、しかし)ビッグデータによって可能となる権力の巨大な集中化を予測できなかった。私はWeb3の理想主義は好きだが、理想が現実に結びついていない。(中略)トラスト、アイデンティティ、分散型金融といった私たちが直面している困難な問題を解決するWeb3のビジョンのパーツに集中する時期だ。(筆者による仮訳)」(出典:Tim O’Reilly, “Why it’s too early to get excited about Web3?,”December 13,2021(https://www.oreilly.com/radar/why-its-too-early-to-get-excited-about-web3/

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