コラム

#13 デジタル立憲主義と憲法改正
曽我部真裕(京都大学大学院法学研究科教授)

2022年5月9日

 2022年4月28日、日本、米国、EUをはじめとする約60か国・地域が、「未来のインターネットに関する宣言」を発表した[1]。そこでは、①人権や自由の保護、②分断のないグローバルなインターネットの推進、③包摂的で安価な接続、④プライバシーの保護といった原則が示された。

 この宣言の背景には、ウクライナ侵攻を巡るロシアのニュース検閲や一部サイトの遮断といった最近の状況があると言われているが、インターネットにおいて個人の権利や自由を確保しようとする試みは以前から存在した。直近の例としては、EUでは2022年1月に、「デジタル時代におけるデジタル権利・原理に関するヨーロッパ宣言」が提案されている[2]。

 他方、理論的には、「デジタル立憲主義」の名のもとで、以前から議論が進められている。

 ダブリン・シティ大学のエドアルド・セレスト(Edoardo Celeste)が2019年に公表した「デジタル立憲主義の新たな理論化」という論文[3]によれば、「デジタル立憲主義」あるいはそれに類する用語・概念は、2000年代初頭から様々な文脈、様々な意味合いで用いられてきたという。筆者なりに整理すると、デジタル立憲主義をめぐる議論は、次のようないくつかの軸をめぐってなされているようである 。

 第1に、規律の対象である。例えば、ICANNのあり方をはじめとするインターネット空間全体のガヴァナンスを問題にする議論と、本報告と同様にDPFの規律に焦点を当てる議論があるようである(なお、インターネット・ガヴァナンスについては、本コラム#11で谷脇康彦氏が最近の状況を整理されている)。

 第2に、規律の法形式をめぐる議論がある。例えば、私法の役割を強調する見解や、国家の憲法に私的な主体を服させるべきとする見解もあるとされる。

 第3に、国家の位置づけについてである。一方では、デジタル立憲主義も国家あるいは国家の憲法に媒介されて成立するとする見解があり、他方では、国家なきデジタル立憲主義という主張がある。そこでは、自律的な社会セクターが規範を練り上げ、それが国家機関と社会的文脈の相互影響を通じて、徐々に法的なレベルで制度化されるといった議論がなされる。

 ところで、日本では最近、憲法改正論議において、デジタル化に対応した規定を憲法に置くべきだとする主張も出てきている。具体的なものとしては、国民民主党が2020年に発表した「憲法改正に向けた論点整理」[4]においていくつかの提案がなされている。その1つに、デジタルプラットフォーム(DPF)提供者に対し、透明性及び公正性を向上させる責任を負わせるという規定がある。憲法は国家を縛る法であるという伝統的な理解とは異なり、DPF提供者を憲法で規律しようとしている点が注目される。

 この案の発想は、前述のデジタル立憲主義に関する第2の論点において登場した、DPFを憲法に直接服させようとする発想に連なるものである。しかし、確かに、DPFを「新しい統治者」と位置付ける主張があるとはいえ[5]、私企業であるDPFを国家と同視することは困難であり、それを乗り越えるだけの必要性も現状では感じられない。

 憲法改正論議において、デジタル化に対応した規定を憲法に置くべきだとする主張については、その問題意識は理解できるものの、改正内容についてはさらに議論を深める必要があろう。


[1] 参照、総務省「「未来のインターネットに関する宣言」立ち上げイベントの結果(2022年4月28日」(https://www.soumu.go.jp/menu_news/s-news/01tsushin06_02000235.html

[2] European Commission, Declaration on European Digital Rights and Principles, 26 January 2022(https://digital-strategy.ec.europa.eu/en/library/declaration-european-digital-rights-and-principles).

[3] Edoardo Celeste, Digital constitutionalism: a new systematic theorization, International Review of Law, Computers & Technology, 33 (1): 76-99

[4] 国民民主党憲法調査会「憲法改正に向けた論点整理」(2020年12月4日)。

[5] セントジョーンズ・ロースクールのケイト・クロニック(Kate Klonick)の所説であるが、日本語での紹介として参照、水谷瑛嗣郎「オンライン・プラットフォームの統治論を目指して デジタル表現環境における「新たな統治者」の登場」判例時報2487号(2021年)110頁。

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