コラム

#10 サイバー文明と主権国家
國領二郎(慶應義塾大学総合政策学部教授)

2022年4月8日

 50年後に2021/2022年は三つの方向から西欧的な国民(主権)国家体制が攻撃され、米国や日本を含めた西側諸国が体制維持のために歴史的な結束をした年として記憶されると思う。三つとは、①グローバルなプラットフォーム事業者、②暗号資産やWeb3.0などのアナーキーな動き、③ロシアだけでなく、中東、アフリカ、中国を含むアジアなどにも見える西欧が作ってきた秩序への反感の三つである。どうつながるのか、それぞれ少し展開してみよう。

 第一は国家をしのぐほどの影響力を持つ巨大プラットフォーム事業者が、広告による収益を追求する過程で社会的な分断を煽ってアテンションを獲得する手法を使うようになり、国民国家の合意形成能力に深刻なダメージを与えていることだ。2021年1月6日の米国議会への暴徒乱入事件以降、米国でもフェイクニュースや世論操作などの土壌を提供するプラットフォームの規制論が強まり、対立の構図が以前の(多くのプラットフォーム事業者を持つ)米国vs.対抗したい欧州というものから、プラットフォームvs.国家主権に変化しつつある。

 第二は暗号資産などに見られる国家による統制をくぐるアナーキーな技術の発達である。インターネットとほぼ同じ長さの歴史をもつ問題とも言えるが、通貨という国家主権の根幹に及ぶ領域に入るにつれて、専制国家だけでなく、民主主義国家も脅威を感じる存在になってきている。ウクライナ情勢をめぐっても、ウクライナ支援にも使える一方でロシアの制裁逃れにも使えるのが暗号資産である。どこかで折り合いをつけないとWeb 3.0などの期待のかかっている新しい動きも国家主権との対立に直面しかねない。日本の政府も既に暗号資産による制裁逃れを外国為替管理法で対抗する方向を示している。

 第三は近代西欧が作ってきた主権国家と領土、国境などの秩序に対する反感だ。これについてはロシアのウクライナ侵攻直後の2022年3月22日の国連安全保障理事会で、ケニアのキマニ大使が行った演説が印象深い。大使の演説には、かつてのアフリカには明確な国境がなかったところに、西欧諸国が勢力争いをする中で自分たちの文化や歴史を全く無視する形で国境が引かれたことへの抗議が含まれている。その不当さを述べた上でキマニ大使はアフリカ諸国が過去の「帝国」へのノスタルジアを断って、独立時の国境を尊重しながら連帯をしていることを強調した。そのようにすることが平和を守る唯一の方法だと、帝政ロシア時代を意識しているとしか思えないプーチンを強く諭したのである。ロシアのウクライナにおける行動があまりに残酷で稚拙なので、この論点は吹き飛んでしまっているが、底流としてこの反西欧近代思想が存在することは意識しなくてはならない。

https://www.youtube.com/watch?v=EVyYOQi469Y

 第三の論点がこのフォーラムの議論の文脈で重要なのは、デジタル経済がいよいよ近代工業文明を終わりに導いているとしか思えないからだ。詳しくは「サイバー文明論-持ち寄り経済圏のガバナンス」という本を近く出すのでご覧いただきたいが、デジタル化はネットワーク外部性、トレーサビリティ、ゼロマージナルコスト、複雑系といった特質を持っていて、それらが収穫逓減、(金銭による)匿名交換経済、市場均衡メカニズムといった近代市場経済が機能する大前提を突き崩している。ここで認識すべきは暴力装置(enforcement)を独占して統治する主権国家という枠組みや、所有権を確立させた西欧の個人主義哲学(倫理)などが、産業革命後の大量生産・大量販売システムに必要な広域ガバナンスの基盤として機能してきた歴史だ。それらがいま、ネット空間の拡大によって機能不全に陥りつつある。

 矛盾が端的に表出しているのが格差社会だ。近代工業が工場労働者の雇用を通じて大量の中間層を生み出したのに対して、デジタル産業はこれまでのところ一部の人間に大きな富をもたらしながら、同じような雇用吸収力を発揮していない。これは単なる分配の問題ではなく、財としての特性に由来する根深いものだ。米国でトランプを大統領に押し上げた矛盾と対立構造は世界的なものと言ってよい。

 念のために加えると、当面の予想としては、主権国家がプラットフォーム事業者と何らかの妥協点を見つけて、アナーキー勢力や反西欧近代勢力の抑え込みをはかるのだろうと思っている。しかし今回のウクライナ戦争が単に西側が団結して現状を守ったというところでは終わらないと思うのは、このように背後にもっと構造的な矛盾があると思うからだ。

 結論として人類はいま新しいサイバー文明に適した新しい統治構造の模索期に入っているのだと思う。キマニ大使の言う「帝国」を、国境をまたがるガバナンスの仕組みと言い換えるとその発言が過去を向いたものではなく、未来を暗示するものと受け取ることができる。近代がフランス革命を含む大きな流血の事件を伴いながら確立していったのと同じような動乱の時代を我々は今生きているのだろう。新しい文明への移行を極力流血の少ないものとする知恵が今求められている。

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