コラム

#2 省庁再編20年からのデジタル政策フォーラム  
中村伊知哉(iU学長)

2021年12月24日

 省庁再編から20年になる。デジタル化の20年でもあった。それでようやく誕生したのが「デジタル」庁とは、日本の歩みの遅さを物語るが、わずかな期間で予算も法律も要員もそろえて発足させたのは、この国に残る馬力を感じさせる快挙だ。

 1997年、橋本行革は郵政省を解体し、通信・放送は独立行政委員会とする中間報告を発した。郵政省内では通産省との合併や運輸省との統合を目指す運動が起きた。前者は通信政策を産業政策とみる動きで、後者はインフラ政策とみる動きだった。

 政治的な調整の結果、総務省の内局に落ち着いた。それは通信政策が産業やインフラというタテの行政でなく、全分野にまたがるヨコの行政という認識が勝ったためだ。(独立行政委員会が退けられたのは、これも政治がその行政を内閣の外に投げることを嫌ったためである。)

 しかし総務省によるヨコ串行政は進まなかった。内閣官房にIT本部が置かれ、ヨコ串の力を発揮しようとしたが、20年前のeJapan戦略に掲げた二大課題=行政・教育情報化は、昨年の骨太の方針が掲げた二大課題と同じ。進歩がない。

 コロナで露呈したデジタル敗戦。行政も教育も海外に劣後する。医療を含め公的分野の遅れは深刻だ。いや、テレワークをはじめ経営DXも進んでいない。世界に冠たる☓☓という昭和の勝ち組がみな、勝ち組ゆえに、平成まるごとDXを拒否した結果ではないか。

 その責を国に負わせるのは酷だろう。「みんな」の敗戦だ。ただ、デジタル政策屋が懺悔すべきは、その間、デジタル政策のプライオリティーを国家政策トップに高められなかった力不足にある。敗戦を認識させデジタルを主役にしたのは、デジタル屋ではなくコロナだった。

 デジタル政策を担う組織とは。妥協としての総務省が発足した後ずっと私は、次ステップとして、「文化省」設置を主張した。通信・放送、コンピュータ・ソフト、IT・知財、文化・著作権の行政を束ねるタテヨコ合体の役所だ。2018年に経団連が主張した「情報経済社会省」とほぼ同内容のものだが、私は著作権は主張していない。ネーミングセンスは私が勝る。7文字の役所は二流じゃありませんか。

 敗戦を機に一気にできたデジタル庁は、デジタルがトップ・プライオリティとなった落し子であり、歓迎すべきものだ。ただ、文化省ないし情報経済社会省はデジタル行政の最小公倍数だが、行政情報化に集中するデジタル庁は最大公約数だ。組織化の決着としては真逆となった。

 だからそのミッションはシャープ。全行政がDXすればデジタル庁の役割は終わる。せっせと仕事をして早く解散するのがデジタル庁のミッションとなる。

 一方、文化省構想に託した、永続的な、デジタル社会経済を育む役割は誰がどう担うべきか。タテの役所を再々編することに時間を費やす余裕は敗戦国にはなかろう。デジタル庁発足にタイミングを合わせて、産学官の連携による「デジタル政策フォーラム」をスタートさせたのは、その思いを受け止めるプレイヤーを「みんな」で作るためだ。この試みが復興の一歩となることを願う。

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