多極化する世界におけるAIガバナンスを追求
谷脇康彦、中村伊知哉、菊池尚人
AIガバナンスを巡る論点2025 #25
<鼎談> デジタル政策フォーラム(DPFJ)のアクション
AIを巡る状況は、経営、経済、社会、文化、政治、外交、安全保障など様々な局面で急速に変化している。デジタル政策フォーラムの認識と対応はいかに――。DPFJの谷脇康彦、中村伊知哉、菊池尚人の三名が語り合った。
AIをめぐる現状認識

谷脇 デジタル政策フォーラムとして『AIガバナンスの枠組みの構築に向けて(Ver 1.0)』を公表したのは2024年7月。まずは論点を整理することから始めた。同年12月に『AIガバナンスの枠組みの構築に向けて(Ver 2.0)』を公表。日本政府がAI法の制定に動き出していたところに、法律を作るならば、「基本法」とし、厳しい規制をかけるべきではないと提言した。結果、AI法はほぼ提言通りの中身となった。これは評価できる内容だ。
今回Ver 3.0をまとめていて強く感じたのは、法的な枠組みのあり方論から具体的な政策論に焦点が移ってきたこと、そして政策という範疇を超え、文化、宗教、民主主義といった領域にまで論点が広がってきていることだ。
これは、多くの人が AI を実際に使い始めたからだろう。AI を実際に使ってみて、「AIのあり方」ということについて具体的に議論できる環境になった。実利用が進むほど論点が広がり、鮮明になっていく。
例えば、リスクへの備え。米国ではトランプ政権がAIを極力規制しない方針を示している。自国のAIプラットフォーマーが競争優位にあるからだ。これに対して、欧州や韓国ではリスクの強弱でAIに対する規制の度合いを変える方針だ。AIを安心して利用するために規制が不可欠という考え方からだ。個人的には「AI のリスク」を客観的・定量的に評価・定義するのは非常に難しいと思うが、AIリスクへの対応が国によって大きく違ってきている。米国内でも連邦政府はAI放任主義だが、ほとんどの州でAI規制法が成立しており、軋轢が生じている。ハードローでいくのか、ソフトローでいくのか、考え方に大きな違いがある。
強いAIを生み出しているのは米国のプラットフォーマーであり、AI前に構築されてきたプラットフォーマーの市場独占力、データ独占力というものが、 AI後にもそのまま踏襲されている。競争政策と産業政策の観点から丁寧に議論すべきテーマである。

中村 提言・ステートメントというものは三つも作ると大体同じような内容に収束して役目を終えていくものだが、今回を含めた三つのAIステートメントは、それぞれに重要な意味があった。
Ver 1.0では、「AIのコントローラビリティ」について問題提起した。Ver 2.0では「AI法のあり方」について提言した。そうしたら実際そういう法律ができた。Ver 3.0ではテーマごとに深掘りして具体化すればいいのかなと思っていたら、むしろ論点が広がった。
要因の一つは想定以上のスピードでAIが進化し、影響を与える領域が拡大していること、もう一つはトランプ政権が世界の場面(ステージ)を変えてしまったということ。関税にしろ、ベネズエラへの軍事侵攻にしろ、グリーンランド買収の件にしろ、過去一世紀以上をかけて形作ってきた自由資本主義の定石が通用しなくなっている。自由民主主義の旗手だった米国が専制主義側に回ってしまったようにも見えるし、法の支配という近代国家の拠り所さえ揺らいでいる。そういう不安定な政情の上に、強大なパワーを秘めたAIを誰がどのような仕組みでコントロールするのかという論点が乗ってきた。
さらには、ハードロー派のEUと放任派の米国が相反する構図の中で、ソフトロー主義を取っている日本のポジショニングが適切なのか、今後もそれで良いのかという論点も新たに浮上している。
今回の「AIガバナンスに関する提言 Ver 3.0」はそうした混沌とした状況に向き合った結果である。

菊池 「AI×政治」「AI×経済」については、今回の「AIガバナンスに関する提言 Ver 3.0」をまとめるに当たっても、第一線で活躍する様々な領域の研究者に論じていただいた。
ここからは、教育であるとか宗教であるとか、次世代にどう紡いでいくか、人の心のあり様はどうあるべきか、といったテーマをしっかり考えていく必要がある。
そのような議論では、世界における日本のポジションを直視することから始めなければならない。30年前の日本は世界第2位の経済大国だったが、2025年にはインドに抜かれてGDP(国内総生産)で第5位に後退する見込みで、今後さらに順位を落としていく。経済的な中位国として、どのような戦略でAIをとらえるのかという意識を持たなければならない。
谷脇 議論の前提として「AI=LLM(大規模言語モデル)」と考える人が多いが、ルーターが相互に自律的につながり合った分散型ネットワークであるインターネットに照らしてみると、LLM のような大規模・集中型AIだけではなく、小規模・分散型 AI の可能性も考慮しておくべきだと思う。分散した AI が仮想的に、あたかも一つの AI のように動くイメージだ。その一つのカタチが「パーソナル AI」だ。
日本の勝ち筋は「パーソナル AI」 のような分散型 AIではないかと思う。集中型と分散型が共存して互いに競い合うことによって、AI の世界に健全な競争が生まれ、ひいては健全なマーケットに成長するのだと思う。
中村 AIを取り巻く環境だけでなく、AIそのものも急速に変化している。「LLM=AI」という考え方で論じられてきたが、そろそろ世界中のオープンになっているデータは食い尽くすということになると、個別の組織が持っている良質なデータに基づく分散型AIやパーソナルAIが勃興してくる。その変わり目にこそ日本の勝ち筋も見えてくるかもしれない。2026年には、AI が身体性を持つ、つまりロボットと合体してフィジカルに現実空間に出ていくということが本格化していくだろう。そこでも、競争の局面が大きく変わる。
我々は目の前にあるAI を前提にして、経済、社会、文明にどのような影響を及ぼすかっていうことを掘り下げてきたわけが、AIは凄まじいスピードで進化している。シンギュラリティの到来もそれほど遠くないかもしれない。AIそのもののが劇的に変わり続けるスピードに、法体系だとかコントローラビリティだとかの議論が追い付けるのか、AIをいかに論じるかという論点も浮かび上がってくる。
有識者・企業・クリエイターへのヒアリングを踏まえた気づき
谷脇 企業の経営層、リーダー層のAIに対する理解が非常に進んだというのが、Ver 2.0からの最大の変化だと感じる。「AIを使うか使わないか」から「AI をどう使うか」に経営戦略の焦点が明らかに移った。日本のDX(デジタルトランスフォーメーション)は経費削減を目的とすることが多かったが、AI導入に関しては最初から新規事業創出、付加価値向上を目指すケースが多く、その違いが鮮明であることが印象的。
特集「AI×クリエイター」の事例からは、これまでに確立されてきた領域・分野がAIによって根底から変わりつつあること、様々な挑戦者が登場していること、その一方で既存プレイヤーの中には事業継続が困難になりつつある人たちもいること、等々、悲喜こもごもの様相を垣間見ることができた。人間のクリエイティビティの根源的なところが問い直されているという指摘も非常に重い意味がある。クリエイティブ以外の領域も含めて横断的な調査と分析を重ねることによって、さらに厚みのある議論になるはずだ。
中村 AIは経済・社会の基盤になりつつある。企業では「効率化」よりも「戦略の基盤」として認識されている。そして、経営層のリーダーシップが顕著だ。AI利用度の差は、ひとえに経営者のリテラシー差の表れということになってきた。
一方、文化面の議論も盛んになってきた。コンテンツ、メディア、ジャーナリズムについての問題提起、クリエイティブの現場の声・・・AIの議論がいろいろな分野に広がっていることを実感した。
そして、メタ認識の議論が盛んになってきた。宍戸常寿 東京大学教授は民主主義について問いかけ、國領二郎 慶應義塾大学名誉教授は社会構造の変貌を説き、須藤修 中央大学教授は文明論を語った。非常に大きな問題提起が表に出てきている。今の国際的な変動とAIの衝撃が相まって、根源的なところを問い直すことが求められているのだと思う。そして、大澤淳 中曽根康弘世界平和研究所上席研究員の「経済合理性よりも安全保障を優先すべき」という提言、村上明子AISI所長の「AIガバナンスとは安心を支えるプロセスである」という指摘は、いずれも非常に重いものがある。
「AI×クリエイター」については私も深くかかわっているが、悩ましい問題が浮上している。AIを使わないとクリエイティブが成り立たなくなるという認識が広がる一方で、ユーザーやファンの間にAI でコンテンツを作ることに対する嫌悪感が生まれ、AIヘイト論が世界的に広がっている。僕はAI推進派なのでそういうことをSNSに投稿したりすると大炎上してしまう。コンテンツ企業のなかには「コンテンツ制作にAIを使わない」と宣言するところまで追い込まれたところもある。一過性の現象なのか、コンテンツ制作へのAI活用を躊躇することが常態化するのか・・・。先が見通せない。
菊池 企業がAI利活用を進めていくと必ずぶつかるのが「データ」の壁である。自社が蓄積してきた様々なデータをAIに学習させることが独自の付加価値となり競争力を生み出すのだが、肝心のデータが紙ベースのままだったり、フォーマットがばらばらで構造化されていなかったり、有効に生かされていない状況がまだまだ見られる。今回のヒアリングでも複数の企業、団体からそうした問題意識が聞かれた。
これは個社だけではなく、中小企業同士の連携や公的データの利活用、産業間連携、国際連携といった重層的な課題でもある。国立循環器病研究センターの西村邦宏先生は、日本の医療データの収集・整備・活用がなかなか進まないことに強い危機感を隠さなかった。日本的な安全・安心志向がデータの利活用においてもチャレンジを許さないという指摘は非常に重い。デジタル庁は「誰一人取り残されない、人にやさしいデジタル化を。」というミッションを掲げているが、果たしてこの理念のままで良いのだろうか。明治の文明開化は日本が生き残る手段であり、目的でもあった。
社会構造をそのままにDXやAIの利活用を推進しようという考え方には限界がある。人口が減少してAIを使わないと成り立たない社会になるので、それに合わせて社会構造を思い切って変える決意で取り組まないと進まない。世界から大きく遅れている日本の中で議論しても取り残されるだけだ。海外の先頭集団は今どこにいるのか、どこに向かっているのかをしっかり認識すべきだと感じる。
谷脇 サイバー空間にどこまで国際法が適用できるのかという議論がある。日米欧はリアル空間と同じように適用できるという考えである一方、中国・ロシアはそれとは違う意見で、なかなかまとまらないという状況があった。ところが、最近の米国の行動を見ると、そもそも国際法そのものが機能するのかという話になってきている。
世界経済フォーラム(WEF)の「The Global Risks Report 2026」の中で最も目を引いた表現は、「Multipolarity without multilateralism(多国間主義なき多極化)」だ。多国間主義、すなわちルールに基づく国際秩序が衰退し、国境を越えた経済的・軍事的紛争のリスクが高まっているという分析で、まさにその通りだと思う。デジタル技術がその駆動力になっているのは明らかで、AIの普及がそれに拍車をかける。アルゴリズムは妥協ということを知らないので、多極化がさらに加速していく恐れがある。
かなり深刻な状況に来ているのだが、危機的な状況を回避するためにどうすればいいのかについては、個別領域ごとではなく、マルチステークホルダーで議論すべきである。しかし、マルチステークホルダーをつなぎとめる吸引力が全く見当たらない。皆が同じ方向に向かっている場合、マルチステークホルダー主義で議論するとまとまりやすいが、全く逆の方向を向いている時、つまり多極分散状態の場合にはマルチステークホルダーによって結論を導き出すことは困難だ。
中村 日本は著作権法を改正してAIによる学習をほぼフリーにした。AI の開発を促し、コンテンツ制作を強化していくという産業政策的な狙いがあった。しかし、そのようなことを公に言うと必ず炎上する。海外から批判のつぶてが飛んできたりもする。すべての案件がグローバルで語られるので、国ごとに閉じた議論がそもそも成立しなくなっている。
いろいろな人からそれぞれの意見を聞くのも大切だが、ここまで多極化してくると、巨大プラットフォーマーの戦略や考え方の真髄に迫ることが本丸のように思えてくる。米国はもちろんだが、その対極にいる中国の研究者や企業のフロントランナーがこの局面をどう見ているのかも気になるところだ。
菊池 トランプ米大統領の手によって、まるで19世紀後半の帝国主義に巻き戻った感さえある。国際秩序という共同幻想が消えた混沌の中で、米国、中国という巨大プレイヤーやグローバルサウスがどう動くのか、注視することも必要だ。
「AIガバナンスに関する提言 Ver 3.0」の意義と今後
谷脇 「AIガバナンスに関する提言 Ver 3.0」の構成は「Ver 2.0」からほとんど変わらず、書き足しに終始した。その意味で、今まで積み重ねてきた議論の方向性は間違っていなかったことを確信した。産業政策、競争政策、安全保障、コンテンツ、文化、宗教・・・と議論すべき範囲はとても広くなった。しかも、それぞれが相互に深い関係性を持っている。
ただし、政策的には後手に回っていると言わざるを得ない。AI 法(人工知能関連技術の研究開発及び活用の推進に関する法律)が2025年9月に施行され、それを受ける形で12月には「人工知能基本計画」が閣議決定された。残念ながら、各省庁の政策の寄せ集めに終わっている。もっと俯瞰的で相互連関性を重視した政策を組んでいかないと、日本のAI 活用が進まない。
省庁間の壁、業態間の壁を破り、高い次元での政策論に持ち込むためにはどうすれば良いのかという、根本的な課題に本気でぶつかっていかなければならない。
中村 国際情勢が様変わりして、米国と欧州の狭間にいる日本の立ち位置が明確になった。同時に民主主義とか資本主義の基盤が大きく揺らぎ始めた。AIの軍事利用という重大テーマも浮き彫りになってきた。認知戦やサイバー攻撃、さらには兵器利用にまでAIは深く入り込んでいる。近代国家の存立を危うくする恐れさえ出てきた。
抽象論だけではだめ、かといって細かい個別領域ごとでの議論だけでもだめ。鳥の目をもって全体を俯瞰し、要所にある壁を破らなければならないが、それは日本が非常に不得手とするところだ。だが、もはや、その問いから逃げていられる状況ではなくなっている。
規制と振興の両面から思い切った打ち手を繰り出していかなければならない。そして、特に教育、医療、行政におけるAI利活用を加速することは、最重要政策課題として取り組むべきだ。
菊池 各省庁縦割りであることに加え、施策が短期視点であることが問題だ。メタ視点の議論が必要であるということは今回の「AIガバナンスに関する提言 Ver 3.0」の非常に重要な投げかけになっていると思う。
谷脇 今回、デジタルデモクラシーについても触れた。AIが普及していくと民主主義はどのように形を変えていくのか、民主主義は機能するのか――。極めて重要な論点である。
もう一つ、重要な論点としてサイバー空間における地政学がある。端的に言えば、サイバー空間の中に国境ができ始めていることをどうとらえればいいのかということ。インターネットは時間と距離を超越する、サイバー空間には国境がないと言われてきた。現実世界が国境で区分され多極化したとしても、サイバー空間では繋がり合っているということが一つの救いだったが、今、そのサイバー空間までもが分断されようとしている。世界の分断がいよいよ決定づけられてしまうのではないかと深く危惧している。
デジタル政策フォーラムとしては、領域横断で定点観測を続けるとともに、様々な領域の人たちとの対話を継続することによって、俯瞰的視点からの議論を触発する役割を果たしていきたいと思う。
中村 AIが国家のあり方や安全保障という領域に入り込んでくるのなら、政治のど真ん中にいる政治家がこれをどうとらえているのか聞いてみたいし、そうした議論を始めなければならない。
人々がAIに何を求めるのかという点も面白いテーマだ。電通が2025年6月に実施したアンケート「対話型AIとの関係性に関する意識調査」によれば、「対話型AI」に感情を共有できる人は64.9%で、「親友」(64.6%)、「母」(62.7%)に並ぶ”第3の仲間”になっているという。特に若い世代ほどAIに対する愛着や信頼が高い。そのうち、「AIと結婚する」という人も増えてきて、日本の少子化をさらに加速させてしまうかもしれない。
これまで目指してきたAIと、今後みんなが欲しがるAI像は違ってくるかもしれない。AIは先生なのか、上司・同僚・部下なのか、友達なのか、恋人なのか、はたまた神なのか――。国民性によっても大きく違ってくるだろう。興味深いテーマであり、それによって我々が立てるべき問いも変わってくるだろう。
菊池 AIステートメントVer 4.0では、宗教、結婚、家族、コミュニケーションといったテーマに迫ってみたい。人間はAIによって救われるのか、AIによってもっと理解し合えるのか、AIによって愛のカタチ、社会のカタチはどう変わるのか――。とても興味がある。
谷脇 近代国家を構成する立法、司法、行政の三権の中で、例えば司法の機能をAIに置き換えたらどうなるのかをシミュレーションしてみるのも次の課題を見出していくうえで有用かもしれない。AIを起点にこの世の中の機能がどこまでAIによって代替できるのかを考えることで、逆にAIの持つ限界、人間との共生の姿が見えてくるかもしれない。引き続き広範な議論を巻き起こしていきたい。
中村 経営戦略から国家論、文化、哲学まで様々なことを、みんなで自由に議論できる時代に生きられて本当に幸せに思う。1000年に一度めぐってくるかどうかの稀有なチャンスだ。AIよ、どうもありがとうと言いたい。AIステートメントVer 4.0が今から楽しみだ。
谷脇 康彦 / Yasuhiko Taniwaki
デジタル政策フォーラム 代表幹事
中村 伊知哉 / Ichiya Nakamura
一般財団法人 デジタル政策財団 理事長
iU学長
菊池 尚人 / Naoto Kikuchi
デジタル政策フォーラム 代表幹事代理
慶應義塾大学大学院 メディアデザイン研究科 特任教授
